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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 05月14日(火曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆ 碁石の日。だがサブカル大辞典のウィキペディア5月14日には、フィクションでの出来事には詳しくても碁石の日については触れられていない。碁石が砂浜一面に敷き詰められている海岸を擁する岩手県大船渡市がこの日の存在を知らしめようと躍起なのに。 ◆ 4歳のガキがフランスの国王に。分別が解る年頃になるまでローマ教皇から派遣されたお守り役が実務を担うことに (1610年) 。 ◆ パレスチナに居座っていたユダヤ人が勝手に国を創ったので、周りのアラブ諸国がタコ殴りするものの逆に返り討ちの目に遭うばかりか土地を余計に奪われる破目に (1948年=イスラエルが建国を宣言) 。

◎ ◎ ジェームズ・ボンドを生んだ、英国のスパイ組織「非紳士的な戦争省」 ◎ ◎

- - 「ヨーロッパを燃え上がらせろ」と英首相チャーチルは命じた - -

=National Geographic Journal Japan 〉旅&文化〉 文=Erin Blakemore/訳=米井香織

 

 1942年、スペイン領ギニア(現・赤道ギニア)の港町サンタ・イザベルで、イタリアとドイツの商人がパーティーに誘われたとき、手の込んだ策略だと疑う者はいなかった。しかし、商人たちがグラスを傾けているとき、英国の極秘スパイ集団が船を盗む準備を進めていた。当時は第2次世界大戦中で、枢軸国の武器を積んでいる疑いがあったためだ。 「ポストマスター作戦」として知られるこの大胆な任務は国際的な事件に発展し、破壊工作や騒乱の種まきを専門とする英国の極秘組織「特殊作戦執行部(SOE)」の力が証明された。また、ガイ・リッチーが監督を務めたコメディー映画「The Ministry of Ungentlemanly Warfare(非紳士的な戦争省)」では、SOEの極めて真面目な目的に潜む愚かな側面を掘り下げている。(参考記事:「『原爆の父』オッペンハイマーを極秘計画から外しかけた疑惑とは」)  しかし、SOEとはいったいどのような組織で、なぜその行為が今なお反響を呼んでいるのだろう? ここでは、「ジェームズ・ボンド」をはじめとするスパイ映画の題材になり、第2次世界大戦で連合国の勝利に貢献した「非紳士的」組織について詳しく紹介しよう。  約1万3000人の諜報員が、占領下の国々と連合国の無線通信の確立、兵器工場の破壊、1944年のノルマンディー侵攻計画の支援などを指揮した。また、ユーゴスラビアでクーデターの準備を整え、武器輸送を妨害し、船を盗むなど、極秘の勇敢な偉業をいくつも成し遂げた。  

  なぜ「非紳士的」と呼ばれるのか?  SOEの仕事は非常に危険だった。例えば、SOEの無線技士はヨーロッパにパラシュートで降下した後の余命が6週間で、女性構成員の44%がフランスで捕虜になった。諜報員は拷問や処刑、強制収容の可能性があり、現場での生活は危険で孤独なものだった。  SOEは構成員を支援するため、特殊な武器や装備を開発した。偽の足跡を残すことができるスニーカー、スーツケースのように見える無線機、消音装置が付いた銃、袖に隠すことができる銃器、革新的な爆発物などだ。また、偽の書類や新しい身分証明書なども支給した。(参考記事:「ネコかハトか、スパイの適性を持つ動物は? 真面目な研究の歴史」)  この極秘組織はやがて、チャーチルの造語である「非紳士的な戦争省」という愛称を得た。ヒトラーがヨーロッパに築いた足場を崩壊させるため、秘密主義、ずる賢さ、そして殺人にさえ頼る秘密組織としての「型破り」な行動に由来する。  SOEの戦術は常に命懸けだったわけではない。諜報員はドイツの軍服にイッチングパウダー(触るとかゆくなる粉)を振りかけるようなこともしていた。また、敵を混乱させたり、士気を低下させたり、武器の生産を遅らせたり、レジスタンスグループを励ましたりした。その戦術、そして、必要であれば殺しも許されるという「型破り」でさまざまな要素が絡んだことは、英海軍の諜報員としてSOEとやりとりしていたイアン・フレミングがジェームズ・ボンド・シリーズを書くきっかけになった。

 ただし、SOEは完全無欠ではなかった。例えば、オランダでは、ナチスのスパイによる潜入を許した。警告があったにもかかわらず、当局は手遅れになるまでその証拠を無視し続け、53人の諜報員がドイツの手に渡り、その過程で約200万ドルの損失が出た。これは第2次世界大戦における最大級の失策として知られている。(参考記事:「ナショナル ジオグラフィックに潜入したナチス」)  SOEの行動はしばしば、英国と同盟国、さらには英国の指導者同士を対立させる事態をもたらした。例えば、ポストマスター作戦では、英国が自国の領土から商船を盗んだことに中立国のスペインが激怒し、作戦について知らされていなかった英国軍の首脳陣や政治指導者の間でも騒動が起きた。  SOEの行動が裏目に出ることも多かった。例えば、1942年、SOEの諜報員によって訓練されたチェコのレジスタンスグループがラインハルト・ハイドリヒの暗殺に成功した。ハイドリヒはナチスの有力者であり、ドイツの支配地域で進行していた「最終的解決」計画の推進者だった。(参考記事:「4万2千カ所確認、ナチス収容所新調査」)  暗殺は勝利だったが、ナチスによる残忍な報復を招いた。ナチスは報復として数百人を処刑し、チェコの町リディツェを壊滅させ、170万のユダヤ人を死に至らしめた悪名高い絶滅計画のひとつをハイドリヒにちなんで命名した。(参考記事:「失敗したスパイの歴史」)

今に続くSOEの遺産とは?  SOEの秘密主義は、1946年の解散後、その勇敢な構成員が過小評価されることを意味し、その成功と失敗の多くは数十年後まで人々に知られることはなかった。秘密組織の記録が機密扱いを解除されたのは1990年代に入ってからで、諜報員の多く、特に女性は、その活動が公に認められることはなかった。(参考記事:「発見!1500年前のモザイク画に描かれたスパイ」)  SOEはヨーロッパ全域でヒトラーとナチスに対する大反乱を扇動するという目標を成し遂げることはできなかった。しかし、その秘密裏の活動は間違いなく、第2次世界大戦における連合軍の勝利に貢献した。そして、ヨーロッパは自由を取り戻した。SOEは現在、いわゆる非合法作戦の火付け役とされており、その「型破り」な戦術にもかかわらず、おおむね成功したと評価されている。

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