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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ20/21 ; 歴史深層(040)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月06日<ⰧⰊⰧ

☆★ カール大帝によってでっち上げられた「ローマ帝国」が、ローマ帝国の面影はおろか神聖もなくしたフランツ2世がコルシカの山師の蹂躙によって800年以上の歴史に幕を下ろす(1806年)。☆★ 戊辰戦争における官軍の英霊をもって、朝敵の怨霊を調伏する目的で靖国神社を鎮座せしめる(1869年)。☆★ スイス在住のソフトウェア技術者・ティムが「こんなの作ったんだけど結構面白いwww」とインターネット上でWorld Wide Webを公言(1991年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ストーンヘンジの起源に新説、石はリユース品だった =2/3=  ◆◇

直径や石の並び、素材も同じストーンサークルが見つかる

古代の伝説に手がかりが?

 考古学を支える科学の進歩のおかげで、過去数十年でストーンヘンジがどのように造られたかについての可能性は絞り込まれてきている。夏至と冬至に合わせて石が配置されていることからは天文学的な関連が、また多数の火葬人骨からは死者や祖先崇拝とのつながりが示唆されている。

 ストーンヘンジは短期間で完成したわけではない。5000年前に建設が始まり、その後何百年もかけてさまざまな形に変化していったが、最終的には2種類の石から造られている。馬蹄型に並ぶ中央の巨石部分と外側の円を構成するのは、20トンもの板状のサーセン石(砂岩の一種)。それらの間に円弧を描くように配置されているのが、ブルーストーンである。

 解析により、サーセン石はストーンヘンジ近くのウェストウッズから採取されたと示唆されている。対してブルーストーンは、300キロ近く離れたウェールズ南西部のプレセリ山地から、はるばる陸路で運ばれてきたと考えられている。パーカー・ピアソン氏らは最近、ウェールズの2つの採石場で、ストーンヘンジのブルーストーンと完全に一致する特徴を発見した。

ブルーストーンがたどった旅路は、とある古い伝説を思い起こさせると論文の著者らは指摘する。12世紀にジェフリー・オブ・モンマスが著した『ブリタニア列王史』によると、魔術師のマーリンが、アイルランドの古代のストーンサークル「ジャイアンツ・ダンス」をばらばらにし、1万5000人を使役してソールズベリー平原に造り直させたという。

 この興味深い伝説は、現実にはほとんど根拠がないとされている。しかし、ブルーストーンの採石地がアイルランドに近いウェールズであるという事実は、伝説に一抹の真実が含まれているかもしれないとの思いを一部の研究者に抱かせた。

 ストーンヘンジの前身が、西のどこかにあるのだろうか? パーカー・ピアソン氏の調査チームは、挑戦せずにはいられなかった。考古学者、地質学者、航空写真測量の専門家、そして年代測定の専門家からなるチームは、過去10年の大半を費やしてそれを解明しようとしてきた。

ストーンヘンジの前身を探して

 ワイン・マウン遺跡は、2010年にストーンヘンジとの関わりが指摘されたものの、現在はさほど注目されていない。4つのブルーストーンが円弧らしき形に配置されているだけだ。2011年には、考古学者らがリモートセンシング技術を使って遺跡の地下を探索したが、興味深いものは何も見つからなかった。

 研究チームは直感を信じて2017年にワイン・マウンに戻り、弧の両端に小さな溝を掘ったところ、かつて立石があったことを示す2つの穴を発見した。「もしかしたら私たちはついに正しい道を歩んでいるのかもしれない、と思った瞬間でした」とパーカー・ピアソン氏は振り返る。

 やがて研究チームは、この土地には磁性や導電性をもつ岩石が少なく、リモートセンシングの装置が設計通りに機能しないと気付いた。「最新のハイテク技術では無理だったのです」とパーカー・ピアソン氏は語る。「昔ながらのやり方で、すべて手作業で行うしかない、ということになりました」

くぼみと石の断面が一致

 何カ月もかけて土を掘り、質感や色、地形にわずかな違いがないか調査した結果、さらに多くの穴が発見された。これらの「石のソケット」は、元々は直径110メートルの円の一部となっていた。ストーンヘンジを囲んでいる溝と同じ直径だ。もし、ワイン・マウンの石がすべてソケットに立ったままであれば、夏至の日の出に合わせて配置されていることになる。やはり、ストーンヘンジと同じだ。

 次に研究チームは、遺跡から採取した木炭の放射性炭素年代測定と、光刺激ルミネセンスを用いた土の分析を行った。これにより、ソケットに詰まった石英に富んだ土が最後に日光に当たった時期を知ることができる。その結果、ワイン・マウンは5000〜5600年前に建設されたらしいことがわかった。ストーンヘンジよりも前である。

 では、ワイン・マウンの石はどこへ行ったのか? ストーンヘンジにあるブルーストーンの一つが手がかりとなった。ワイン・マウンのソケットの一つと断面が一致する石があったのだ。さらに、ワイン・マウンのソケットの底にある石の破片は、ストーンヘンジ特有のブルーストーンと地質学的に一致していた。専門的には、無点紋のドレライト(粗粒玄武岩)と呼ばれるものだ。

 過去に行われたストーンヘンジの人骨の分析では、死者のなかにウェールズ西部の出身者がいたという化学的証拠が見つかっている。これらのデータを合わせると、ドラマチックで予想外のストーリーが見えてくる。ワイン・マウンのストーンサークルは、それを造った人々の手で解体され、石の一部はソールズベリー平原に運ばれて、同様の設計のストーンヘンジの材料として使われたのだ。

・・・・・・・明日に続く・・・

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= Ancient Aliens: Mysterious History of Stonehenge   = 

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森のなかえ

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