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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ19/21 ; 歴史深層(039)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月04日<ⰧⰊⰧ

☆★ 修道士ドン・ペリニヨンが発酵で溜ったガスで澱を取り除くことを思いつき、シャンパンを発明(1693年)。☆★ 上地令でミソをつけた水野忠邦が、オランダ国王からのカイコクノススメの対処から老中に呼び戻される(1844年)。☆★ 三木総理が、検事総長の声を聞き分けられない程耳が悪いことが判明(1976年=ニセ電話事件)。一つ誤えると、ロッキード事件が闇から闇へ…。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ストーンヘンジの起源に新説、石はリユース品だった =1/3=  ◆◇

直径や石の並び、素材も同じストーンサークルが見つかる

世界で最も有名な遺跡の1つ、英国のストーンヘンジ。4600年前にイングランド南部のソールズベリー平原に造られたこの遺跡は、今も多くの謎に包まれている。

 最新の研究で、このストーンヘンジの始まりについて新たな物語が提唱された。2月12日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ストーンヘンジはオリジナルな創造物ではなく、ウェールズにあるさらに古い遺跡がその前身であるかもしれないというのだ。

 その遺跡とは、ウェールズにある「ワイン・マウン」というストーンサークル(環状列石)。ストーンヘンジと同等の大きさで、石の配置と太陽との関わりも似ている。さらに、一部は同じ材料を使っているようにも見える。ストーンヘンジとの違いと言えば、現在のワイン・マウンには石がほとんどないことだ。

 研究チームは、ワイン・マウンの建設者たちはが約5000年前にこれを解体し、その石の一部を280キロ東のソールズベリー平原まで運び、ストーンヘンジの建設に使ったのではないかと推測している。彼らは何のために、恐ろしく手間がかかり、実用的でもないそんな作業を行ったのだろうか?

 そのカギになるのが、ストーンヘンジに移設されたとされる重さ3トンの石「ブルーストーン」だ。古代ブリトン人にとって、ブルーストーンは「貴重品だっただけでなく、自分たちが何者であるかを示す本質でもあったのでしょう」と、今回の論文の筆頭著者である英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のマイケル・パーカー・ピアソン氏は語る。氏の研究にはナショナル ジオグラフィック協会も支援している。

 ワイン・マウンでの発見は、実に刺激的な仮説につながると氏は考えている。ストーンヘンジのブルーストーンは、この地に移住してきた彼らの先祖やその記憶を示すものだったという説だ。新石器時代のブリトン人は、文字通り先祖の重みを背負って大地を横断していたことになる。

 しかし、現段階で結論を出すのはまだ早いと、論文の著者らも認めている。「ストーンヘンジについていつも面白いと思うことの一つは、おそらく永遠に答えの出ない問いがたくさんあることです」と、「レスキュー英国考古学トラスト」の副会長ケイト・フィールデン氏は言う。なお氏は今回の研究には関わっていない。「私は、謎があるということが好きです」

・・・・・・・明日に続く・・・

…… …… 参考資料: トーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表(2/2) …… ……

陸路で290キロ離れた採石場、学術誌に論文を発表

どうやって切り出し、運び出したのか?

 採石場周辺には自然に形成された柱状の岩があり、石切り作業に従事した先史時代の人々はいくらか楽ができただろうと考えられている。「彼らは石柱同士の間に走っているひびに木のくさびを打ち込みさえすれば、あとは雨で木が膨張して、石柱を1本ずつ切り離してくれるのを待てばよかったのです」と、英サウサンプトン大学のジョシュ・ポラード博士は言う。「切り離された石柱は次に、土と石でできた土台まで下ろされます。この『荷の積み降ろし区画』から先は、採石場の外へと続く通路に沿って引きずられていくわけです」

 最終的には、80個のブルーストーンがストーンヘンジまで運ばれた。2トンの石柱を距離にして300キロ近く移動させるのはかなりの大仕事だが、インドでは同程度の大きさの石を、木を格子状に組んだ道具を使って、わずか60人ほどで運んでいたことがわかっている。

 石を採石場から運び出すのは、力と器用さの両方が必要とされる作業だ。出口に続く通路(幅わずか1.8メートル)は狭すぎて、木材を敷いた上に石を載せて転がす方法は使えない。考古学者らは、古代の人々が縄、てこ、支点を利用して石を木製のそりに乗せ、それを山裾まで引っ張るか、滑らせたかしたのだろうと考えている。「この作業には二つのチームが必要です。一方のチームが坂の上で縄を引っ張りながらゆっくりとそりを下ろし、もう一方が1メートルほど下で待機して、それを受け取るのです」とパーカー・ピアソン氏は言う。

 採石場の作業員の食事は肉が中心だったと考えられるが、周辺の土壌は酸性度が高く、骨や角などは一切残っていない。見つかるものといえば焼きグリの残骸くらいだが、これは新石器時代には重要な食料であった。パーカー・ピアソン氏は、少なくとも25人が石切りの作業に従事しており、近くにあった居住地から毎日徒歩で通っていたのだろうと考えている。

 パーカー・ピアソン氏のチームによる調査は、ナショナル ジオグラフィックの科学調査支援プロジェクトとして実施された。

・・・・・・明日に続く

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= Why is Stonehenge So Important?  = 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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