ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月02日<ⰧⰊⰧ
☆★ 全世界の変態が大喜びしながらも、無地か縞パンかキャラ入りかで論争しまくるパンツの日。「パン(8)ツ(2)」が認定されるならばと「ハ(8)ーブ(2)」にしてハープの日、ビーズの日、オートパーツの日、帆布の日、ハラスメントフリーの日、ハブの日、云々etc☆★ 士農工商を廃止して平等を謳った筈の明治政府が、国民を3等級に選別(1869年)。☆★ 核開発を促す提言書をフランクリン・ルーズベルト大統領が受け取り、(訳も解らずに署名しただけの)アインシュタインが賛成しているなら好いか、と原子爆弾開発にGOサインを出す(1939年)。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ ストーンヘンジ期のブタ宴会、全島イベントだった =2/2= ◆◇
全域から人が集まる初の「汎ブリテン島」集会と判明、英国
研究者たちは今回、4カ所の新石器時代後期の遺跡(ダーリントン・ウォールズ、マーデン、マウント・プレザント、ウエスト・ケネット・パリセード・エンクロージャー)から出土したブタの骨131点について同位体分析を行った。結果、そこで食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになった。その距離は少なくとも50kmで、550km以上のこともあり、ウェールズやスコットランドから連れてこられたブタもいた。
新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきていて、なかにはかなり遠くからも来ていたことは、宴が開かれた祭祀場が、地元や近隣の会合だけでなく、歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったことを示している。
映画に出てくるようなブタではない
この結果は、ブタにより人間の移動を推定する手法について、研究者たちに再考を促している。ストーンヘンジの人骨のストロンチウム分析を行ったベルギー、ブリュッセル自由大学の博士研究員クリストフ・スノーク氏は、今回の研究には関与していないが、「本当に驚きました」と言う。スノーク氏は、ブタの骨のストロンチウムだけでなく、複数の同位体の分析が行われ、ブタが飼育されていた場所や餌について深い洞察が得られたことを賞賛する。
例えば、ダーリントン・ウォールズのブタは、ストロンチウム、酸素、硫黄の同位体分析結果から、さまざまな環境で育っていたことが明らかになった。しかしその一方で、炭素同位体の分析結果からは、餌は同じようなものだったことが分かった。これはダーリントン・ウォールズの宴の規模の大きさを反映しているとマジウィック氏は信じている。
つまり、地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたのだ。
「宴に参加した人々は、儀式のために、はるばるブタを連れてきたのです」とマジウィック氏は言う。
『Lesser Beasts:A Snout-to-Tail History of the Humble Pig(劣った獣:つつましいブタたちの全歴史)』の著者であるマーク・エシッグ氏は、この結果は理にかなっていると考える。「ブタの群れを移動させることなどできないというのは間違った思い込みです」とエシッグ氏。19世紀の米国では、ブタをケンタッキー州中部からサウスカロライナ州沿岸部までいつも歩かせていたと指摘する。
「新石器時代のブタは、現代の映画に登場するような外見ではなく、イノシシのように痩せていて脚が長かったのです。徒歩で長旅をできるだけの敏捷性と元気がありました」
文=Kristin Romey/訳=三枝小夜子
明日” ストーンヘンジの起源に新説、石はリユース品だった”に続く・・・
…… …… 参考資料: トーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表(1/2) …… ……
陸路で290キロ離れた採石場、学術誌に論文を発表
英国の考古学者チームが2019年2月に学術誌『Antiquity』に発表した調査結果により、ストーンヘンジに使われている石の一部がどのように採掘・輸送されたかが明らかになった。
調査チームによると、5000年ほど前にストーンヘンジの建設に使われた特徴的な「ブルーストーン」が、英国ウェールズにある新石器時代の採石場2カ所で切り出されたことを示す数々の証拠が発見されたという。
かつてストーンヘンジに立っていたと推定される約80個のブルーストーンのうち、現在残っているのは43個。ブルーストーンはストーンヘンジの内側に馬蹄形に配置され、外側をそれより巨大な砂岩の柱にぐるりと囲まれている。研究者らは採石場から発掘された遺物を精査し、先史時代の人々がブルーストーンを切り出した時期とその方法を特定した。
広大な施設が築かれていた
ブルーストーンの採石場は、ストーンヘンジから陸路で北西におよそ290キロ離れたウェールズのプレセリ山地にある。ブルーストーンの重さは1~2トン、高さは最大で2.4メートルほどだ。
これらの採石場で見つかる火山岩や火成岩の特徴は、ストーンヘンジの内側に馬蹄形に並べられているブルーストーンと、ぴたりと一致する。地質学者によると、採石場一帯はブリテン諸島の中で唯一まだら模様のドレライト(粗粒玄武岩)が見つかる場所で、ストーンヘンジのブルーストーンにも多く用いられているという。
採石場では、石器や土台、木炭、焼けたクリの実の他、採石場からの出口だったらしい道などが見つかっている。「ブルーストーンのおおよその産出地は以前からわかっていましたが、今回の研究で特筆すべきは、実際の採石場が特定できたことです」。プロジェクトの統括者で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のマイク・パーカー・ピアソン氏はそう語る。「ここには土台、傾斜路、荷の積み降ろし区画など、広大な施設が築かれていました。露頭のくぼみには、木製のくさびを打ち込んだ跡も確認できます」
木炭と焼けたクリの実から放射性炭素年代測定を行ったところ、新石器時代に当たる5200~5400年前に、この採石場で人の活動があったことが明らかになった。一方、ストーンヘンジが建てられたのは、5000年前よりは後のことと考えられている。これらを考え合わせると、一つの疑問がわいてくる。切り出された石は400年もの間、いったいどこにあったのだろう。
「これはとても興味をそそられる問題です。新石器時代の人々が500年近くかけて石をストーンヘンジまで引きずっていった可能性もなくはありませんが、あまり現実味がありません。むしろ、石はまずどこか採石場の近くにあるモニュメントで使用され、のちにそれが解体されたときに、ストーンヘンジのあるウィルトシャーへ運ばれたと考えるほうが妥当でしょう」とパーカー・ピアソン氏は言う。
・・・・・・明日に続く
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= Stonehenge: Scientists Discover Origin of Iconic Sarsen Stones =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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