ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月28日<ⰧⰊⰧ
☆★ 七(な)二(に)八(は)の日。この日も電化製品を買う客はヨドバシ梅田でかわずかに難波のビックカメラ・ヤマダ電機へと流れ、またナニワナンバーの車も黄色い信号で進むことに特別変わりは無い。☆★ 隣の国に後れること1000年、ようやく日本でも貨幣による納税に切り替わる(1873年)。☆★ 大日本帝国が蒋介石の息の根を止めようとしてベトナムへの進軍を全域に拡大し、アメリカをブチ切れさせる(1941年=仏印進駐)。だが皮肉にも、アメリカも24年後に同じ様なことをやる破目になる。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =3/3= ◆◇
火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味
発見されたブタの骨の同位体分析からは、それらが全て地元で調達されたわけではなく、ウェールズやスコットランドを含む全島からブタ宴会にやって来た人々が、それぞれの土地からブタを連れて来ていたことがわかった。こうした証拠は、ストーンヘンジや周辺の遺跡群が、ブリテン島全域の住民にとっての儀式の場だったことを裏付けている。この村はやがて打ち捨てられ、代わりにブリテン島で最大の「ヘンジ(環状遺跡)」となる巨大な円形の土塁が造られた。
近年、深さ60センチほどの穴が複数発見され、ダーリントン・ウォールズの近くに巨大な木造構造物があったことが示唆されている。穴は1.6キロ以上に及ぶ円弧状に配置され、全体で300個ほどあるようだ。かつてはそこに高さ約5メートルの頑丈な木柱が立てられ、ソールズベリー平原にまた別の象徴的な風景を作り出していたと考えられる。
ウッドヘンジ
ダーリントン・ウォールズの南にも「ウッドヘンジ」がある。1925年、飛行士のギルバート・インサールが上空から撮影した写真によって存在が確認され、後にウェールズ出身の考古学者モード・カニングトンが発掘を行った。
カニングトンのチームが1929年に調査を終える頃には、航空写真に写った環状に並ぶスポットが、柱を立てた穴だったとわかった。中には8メートル近い高さの柱もあったと推測された。外側を土手と溝に囲まれて6つの環状に配置された木柱は、かやぶき屋根を支えていた可能性がある。中心には、割れた子どもの頭蓋骨が埋葬されていた。カニングトンはこれを生贄だと考えたが、調査のために持ち出された遺骨はその後紛失し、詳しく調べられたことはない。
最近では2009年にSRPが、「ウェスト・エイムズベリー・リング」またの名を「ブルーストーンヘンジ」を発見したと発表した。エイボン川に近い側のアベニューの終点で見つかった、高さ2メートル近い立石からなる円形の構造物だ。
石の環は死者を、木の環は生者を
一連の構造物は互いに関連し、文化的な関係や宗教的な意味でつながりがあったと考えられている。人々の信仰が具体的にどのようなものだったのかは、当然ながら何世紀にもわたって問われ続けてきた。SRPも2003年から2009年の間、遺跡群を何十回となく発掘し、造った人々の意図を探ろうとしてきた。
明らかなのは、ストーンヘンジと周辺の遺跡群が全て、生と死にまつわる儀式に関わっていたということだ。SRPによると、ストーンヘンジの周辺ではわかっているだけでも63回、火葬が行われている。新石器時代のヨーロッパでは最大級の火葬場だったのだ。
パーカー・ピアソン氏の調査チームが、オーブリー・ホールの一つで発見された数十体分の火葬人骨を分析したところ、多くの人はこの土地の生まれではなかったことが判明した。ストーンヘンジが古代のブリテン島全域から人々を引き付けていたことを支持する証拠だ。これらの遺跡群は、地域を統一する力として機能していたのだろうとチームは考えている。
20世紀の天文学者ジェラルド・S・ホーキンズは、ストーンヘンジを「新石器時代のコンピューター」と表現した。巨石が天文現象に調和するように、意図をもって配置されているからだ。最も有名なのは6月の夏至と12月の冬至だ。しかし考古学者たちは、ストーンヘンジが単なる暦ではなく、生と死にまつわる宗教儀式を含め、様々な目的のために使われたと考えている。
SRPは、ストーンヘンジは火葬された人々の存在に支えられた、祖先崇拝のための場所でもあったと考えている。また、ストーンヘンジの巨大な環状列石と、それによく似たダーリントン・ウォールズの環状木柱列との象徴的な関係も探究している。石の環は死者を、木の環は生者を表しており、それらを結ぶアベニューが、2つの世界のつながりを象徴していたのではないかというわけだ。
文=JULIUS PURCELL/訳=桜木敬子
・・・・・・・明日に続く・・・
…… …… 参考資料: ストーンヘンジに集い祝宴を開く古代人(1/2) …… ……
ストーンヘンジの近くで発掘された先史時代の牛の化石を分析した最新の研究によると、古代のストーンヘンジ地方では、遠方の巡礼者が家畜を連れて集まり祝宴を開いていたという。 イングランド南部のソールズベリー近郊にある巨石遺跡ストーンヘンジについては、古代人が遠く離れた場所から集まり重要な祝祭儀式を行っていたという学説があり、今回発掘された化石はこれを支持するものであるという。そのような祝祭は年によって開催される日が変わっていたと考えられている。
研究チームの一員でイギリス自然環境研究会議(NERC)のジェーン・エバンズ氏は、「宗教的な祝宴で食するために解体された牛は、はるかウェールズからやって来た可能性もある」と、今週リバプールで開催されたイギリス科学振興協会科学祭(British Association Festival of Science)で発表した。
今回の発見は、ストーンヘンジから3キロほど離れたダーリントンウォール遺跡にある石器時代後期の村で最近発掘された4500年前の牛の歯と骨に基づいている。「祝宴を開くため大勢の人がストーンヘンジ地方に移動して来たことを示す物証を手に入れた」とエバンズ氏は語る。
研究チームは、牛の歯のエナメル質に残っていた化学元素ストロンチウムの原子の同位体を分析した。原子を分析することにより、牛が生息していた地域に関する地質学的な情報が化学的に判断できる。「ストーンヘンジ周辺を含めイングランド南部は石灰岩を大量に含む白亜質の土壌が特徴的であるが、調査の結果、1頭を除いて、この土壌範囲以外の土地で飼育されていたことがわかった」とエバンズ氏は説明する。
そして、2頭の牛の歯は、イングランドの外部からやって来たことを示したという。エバンズ氏は「この牛たちは、比較的古い岩盤上に形成された土壌で飼育されていた。そのような岩盤は、ウェールズやスコットランドまで行かなければ見つからない。この2カ所のうち、ウェールズの方が可能性が高い。ストーンヘンジに近く、ほかにも考古学的なつながりが確認されているからだ」と語る。例えば、ストーンヘンジ遺跡自体にウェールズ南西部から運ばれてきた青石が使われている。
・・・・・・明日に続く
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= Woodhenge =
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森のなかえ
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