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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ15/mn ; 歴史深層(035)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月26日<ⰧⰊⰧ

☆★ アメリカ合衆国に無理矢理連行されて奴隷にされていた黒人が、晴れて自由の身になって帰郷してリベリアが独立(1847年)。その後の列強の植民地化の嵐の中でも独立を保ち、内戦をも経験しながらも今日まで主権国家の体を保っている。☆★ キューバでカストロがスカトロ活動を開始(1953年=キューバ革命の端緒)。☆★ イラクで自衛隊がいるところが非戦闘地域となる(2003年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =2/3=  ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

2000年がかりで建造されたストーンヘンジ

    第1段階(紀元前3100〜2935年)

   第2段階(紀元前2640〜2480年)

   第3段階(紀元前2500〜1600年)

 かの有名なストーンサークル(環状列石)の建造が始まったのは紀元前3000年頃、グレーター・カーサスの数百年後のことだ。最初に、環状に築かれた二重の土手と、その間に掘られた溝ができた。その中心に馬蹄型に並べられた「トリリトン」(2つの石柱の上に1つの横石を渡したもの)とその周囲の環状列石は、紀元前2500年頃に完成した。

 使われた巨大な石は「サーセン石」と呼ばれる砂岩の一種だ。1つが25トンほどにもなり、30キロ余り離れた場所から運ばれてきた。一方、これらとともに80個ほど並ぶ、より小さな板状の石は、「ブルーストーン」と呼ばれるドレライト(粗粒玄武岩)だ。こちらはサーセン石よりもはるかに遠い場所からやって来た。

石はどこから、どうやって運んだのか

 1つが4トンほどあるブルーストーンは、陸路で200キロ以上離れたウェールズ南西部のプレセリ山地から運ばれた。この仮説は1920年代に初めて提唱され、2000年代の地質学的調査によってカーン・ゴイドグおよびクライグ・ロース・イ・フェリンが採石場所だと特定された。

 石が実際にウェールズからソールズベリー平原までどのように運ばれたのかについては、まだ議論が続いている。氷河によって偶然運ばれたとする説も過去にはあったが、今では人力で運ばれたとの見解で大半の学者が一致している。運搬方法や、陸路か水路のどちらで運んだのかという点に関しては不明だ。船やいかだに載せて海岸沿いに運び、河川を伝ってエイボン川から引き上げたとする説もあれば、目撃した人々に印象付けるために、そりに載せて地面を引きずって運んだとする説もある。

 なぜブルーストーンが選ばれ、多大な労力を費やしてウェールズから運ばれたのかは定かではない。最近、ストーンヘンジで発見された遺骨の同位体分析を行ったところ、ブルーストーンの採石地の出身者であることがわかった。この場所まで石を運んできた労働者たちの遺骨ではないかという説もある。

儀式的な意味合いをもつ配置

 現在の考古学者たちは、ストーンヘンジを中心とするモニュメント群が儀式的な意味合いをもつように配置されていると考えている。紀元前2500年以降に造られたアベニューは、ストーンヘンジとエイボン川をつなぐ間に聖域同士を結んでいる。アベニューの向きは、夏至の日の出と冬至の日の入りの方向に一致するため、新石器時代の人々がどれだけの天文学的知識を利用したのかという謎が生まれた。

 ストーンヘンジ周辺の遺跡は、象徴的かつ物理的にストーンヘンジと結びついている。ストーンヘンジのおよそ3キロ北東には「ダーリントン・ウォールズ」がある。それ自体が巨大な円形の土塁跡からなる複合遺跡だ。この土塁が造られる前には大きな村があったと考えられている。

 ダーリントン・ウォールズの重要性は近年、より明らかになってきた。2000年代初頭、英シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン氏が共同で率いた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト(SRP)」(ナショナル ジオグラフィック協会も資金を提供している)によって、何百もの住居跡からなる新石器時代の村落跡が発見された。村にはストーンヘンジを造った労働者が暮らしただけではなく、ブタなどを焼いて食べる大規模な宴会に参加した巡礼者たちが滞在したと考えられている。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 (2/2) ……

地下遺跡の用途

新たに発見された17の遺跡は、多くが神殿のような構造に見える。ストーンヘンジが最も盛んに使われたのと同時期の小さな円形の構造物が、中心にある石の輪の周囲に配置されている。ガフニー氏は、イエス・キリストが磔刑に処せられるまでの道のりを再現する儀式「十字架の道行き」(Via Dolorosa)を例に挙げ、新石器時代にもそれに似た儀式があったのではないかとの見方を示している。

「我々はここで、儀式としての行列や礼拝という概念の誕生を目にしているのかもしれない」とガフニー氏は話す。

4000年以上前にイングランドのソールズベリー平原に建てられた、この謎めいた環状列石は、数世紀にわたって人々に畏怖の念を抱かせ、関心を呼んできた。

手掛かりとすべき文字記録がないことから、この不可思議な巨石建造物をめぐって無数の仮説が唱えられてきた。ケルト人、古代ケルト宗教のドルイド教、ローマ人、さらにはアーサー王伝説との関連まで主張されている。もともと現在のような馬蹄形として作られたのか、完全な円形に石を配置していたのかといった建造当初の形も、盛んな論争の的だ。

今年の夏、ストーンヘンジ一帯でたまたま乾燥気候が続き、かつて石が置かれていたことを示す地表近くの跡があらわになった。しかし、驚くほどの豊富な遺跡が地中に隠れているとは誰も予想しなかった。

◆最新技術で進む調査

高度なリモートセンシングと地下マッピングは、ストーンヘンジに関する知見だけでなく、考古学の方法自体も変えつつある。

スコットランド北方のオークニー諸島でも最先端技術による調査が行われ、ストーンヘンジよりも500年以上古い、全く未知の巨大かつ複雑な新石器時代の神殿群の存在が明らかになった。考古学者らは、この遺跡がストーンヘンジ建設に影響を与えた可能性もあると考えている。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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