ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月23日<ⰧⰊⰧ
☆★ ロシアから来たご浪人が我が国固有の領土の一つでウロチョロしていたので、ひっ捕まえて函館へ連行する(1811年=ゴローニン事件)。☆★ エジプトで勝手放題やらかしていたデブの王様が軍部に追い出される(1952年=エジプト革命)。それ以降今日に至るまで同国は軍部の意向で政治が左右されることに。☆★ 前の総理の消費税&汚職事件に現職総理の指三本のトリプルパンチによって、日本の国会に捻じれが出来始める(1989年)。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =1/3= ◆◇
火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味
世界で最も有名な先史時代のモニュメントと言えばストーンヘンジだろう。英国ロンドンから南西へ約150キロのソールズベリー平原に4500年前から立つ、謎に満ちた巨大遺跡だ。周囲に点在する関連の遺跡群とともに、1986年にユネスコの世界遺産に登録された。
この20年で考古学者たちは、周辺の様々な証拠をつなぎ合わせ、建造にあたった新石器時代の人々について実に多くのことを明らかにしてきた。天文学の知識と土木技術、そして強い決意をもつ古代人が建てたストーンヘンジは、後世の人々の想像力を何千年もの間かき立ててきた。
あの魔術師と王の伝説も
ストーンヘンジにはさまざまな仮説がある。なかでも最も有名かつ空想的な仮説は、アーサー王伝説に含まれる物語だろうか。12世紀の年代記作家ジェフリー・オブ・モンマスは著書『ブリタニア列王史』のなかで、魔術師のマリーンがアイルランドから石を運んだと書いた。
同じく12世紀の作家であったヘンリー・オブ・ハンティングドンはこう表現している。「驚くべき大きさの石がまるで門のように立てられ、門の上に門が置かれているかのようだ。また、それらの石がいかにしてあの高さまで持ち上げられたのか、そもそもなぜあの場所に立てられたのか、誰にもわからないのである」。ストーンヘンジの名は、ヘンリーがモニュメントを「Stanenges」と呼んだことから来ている。アングロ・サクソンの言葉で「石の絞首台」という意味だ。
17世紀にはさらに多くの仮説が登場した。イングランドの建築家イニゴー・ジョーンズは、古代ローマ時代の神殿に違いないと考えた。哲学者ウォルター・チャールトンは、バイキングの手によるものだと主張した。
=Ground Penetrating Radar at Stonehenge=
遺跡を初めて丹念に調べたのは、17世紀の学者ジョン・オーブリーだ。彼は古代ブリテンのドルイドがストーンヘンジを建てたと考えた。1660年代に調査したオーブリーは、巨石を囲む土塁のすぐ内側に56個の穴が並んでいるのを発見した。彼の名を冠して「オーブリー・ホール」と呼ばれるこれらの穴には、木の柱が立っていたと現在の研究者たちは考えている。
18世紀にも調査は続けられ、学者のウィリアム・ストゥークリーによって「アベニュー」が発見された。エイボン川とストーンヘンジをつなぐ長さ3キロ余りの道だ。オーブリーと同じくストゥークリーも、ストーンヘンジを造ったのはドルイドだと考えた。
19世紀になると、建造時期が先史時代にさかのぼる可能性が検討され始める。1900年に始まった修復作業に基づき、ウィリアム・ゴーランドはストーンヘンジが後期新石器時代または前期青銅器時代のものであると推定した。これが、今日の研究の土台にもなっている。
ストーンヘンジはいつできたのか
エイボン川沿いには、ストーンヘンジに関連する新石器時代の遺跡が複数並んでいる。この土地は、後退する氷河に削られてできた地面の溝が、偶然にも夏至と冬至における太陽の方向と一致したため、特別な場所とされたのだろうと考えられている。
人間の手になる最初の遺構の一つが「グレーター・カーサス」だ。紀元前3500年頃に造られ始めた、低い土塁に囲まれた壕であり、長さが3キロで、幅が100〜150メートルもある。ストゥークリーはこれをストーンヘンジの北およそ800メートルの場所で発見した。グレーター・カーサスの詳細な用途は不明だが、おそらくは儀式に使われたのだろうと推測されている。
・・・・・・・明日に続く・・・
=Durrington Walls superhenge=
…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 (1/3) ……
イギリス南西部の巨石遺跡、ストーンヘンジ周辺の地中に、古代の遺跡、建造物、塚からなる未知の複合遺跡が数千年も眠っていたという驚きの調査結果が出された。研究者らは最新の技術を用いて地下の様子を探り、遺跡の存在を突き止めた。 新たに見つかったのは儀式に使う17の遺跡で、巨大な「死者の家」の跡、数百もの埋葬塚、そしてストーンヘンジの周囲をめぐる行列の道筋と思われる道の跡などが含まれる。
また、ストーンヘンジにほど近い遺跡ダーリントン・ウォールズの場所に、周囲1.5キロに及ぶ「スーパーヘンジ」があった証拠も見つかった。かつては60もの巨石や木の柱が配置されてお、その一部はまだ地中に埋まっている可能性がある。
今回の発見は、ストーンヘンジを取り巻く一帯の高解像度3D地下マップを製作するという4年がかりの事業「ストーンヘンジ地中景観プロジェクト」(Stonehenge Hidden Landscape Project)の成果だ。
英国のバーミンガム大学と、オーストリアのルートビッヒ・ボルツマン研究所の研究者たちがプロジェクトチームを率いている。チームは地下レーダー、高解像度磁気探査機、その他最先端のリモートセンシング機器を使い、深さ約3メートルの地中の状態を地図に表した。
合計で12平方キロ近くが探査機によって「発掘」されたこの調査は、同種のものとしては世界史上最も広大かつ野心的なプロジェクトとなった。
中心となった研究者で、バーミンガム大学の景観考古学教授ビンス・ガフニー(Vince Gaffney)氏は、「地下に遺跡があるとは誰も考えていなかった」と驚く。「ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、豊富な遺跡から成る光景の一部だったことが分かった」。
・・・・・・明日に続く
=Astonishing' Stonehenge discovery offers new insights into Neolithic ancestors.=
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= ストーンヘンジの秘密が研究により解明!=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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