ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月21日<ⰧⰊⰧ
☆★ 1930年 - 「早起きラジオ体操会」が東京都千代田区の佐久間公園で開始。ハンコ押したのかな・・・・・☆★ 敗戦によって廃止された治安維持法と特別高等警察が、破壊活動防止法と公安調査庁として復活 (1952年) 。☆★ NASAがアメリカ人のクルーを月に拉致したと発表したが「軟弱者のNASAにそんなこと出来るはずが無い」と言いがかりを付けられ、現在まで続く論争の発端となる (1969年) 。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =6/6= ◆◇
周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが
ストーンヘンジから180マイル(約289km)離れたプレセリの丘の北側斜面、「Carn Goedog」より、ソールズベリー平原にはるばる運ばれてきたブルーストーンは、表面をなめらかに磨きあげ、点描や溝の装飾を施された。2個1組で立てられ、その上にまぐさ石が置かれたが、時がたつうちに落ちてしまったのだろう。人々は古い土塁にも手を入れて、北東の入り口を際立たせ、夏至と冬至の太陽の方向と一致する配置を強調した。これはプレセリ山地の石に見いだした意味、あるいは変わりゆく時代に生まれた新しい信仰を反映したものかもしれない。ブルーストーンの登場以降しばらくはヘンジ内での改修が中心だったが、その後、35~45キロ離れたマールバラ・ダウンズからサーセン石が運ばれてきた。いまだ多くの謎に包まれているが、サーセン石の構造物も、何かの意図があって造られたことは確かだろう。
環境考古学者マイケル・アレンは、ストーンヘンジが変遷を重ねた間この地に暮らしていた人々の日常を明らかにした。ストーンヘンジ周辺では、畑に生える雑草の花粉や炭がら、環境の変化を物語るカタツムリの殻などが見つかり、一帯の土地はすでに開墾されて牧畜や耕作が行われていたことがわかった。ストーンヘンジがどんな存在だったにせよ、共同体のなかに深く根ざしていたことは確かだ。「ときによって、宗教儀式や競技大会に使われていた可能性も十分あります」と、アレンは推測する。
新たな発掘調査
アベニューがエーボン川まで延長された年代が判明すれば、ストーンヘンジと川の間に儀式的な結びつきが生まれた段階がはっきりする。1935年に発掘されて、その後埋めなおされた火葬遺骨をもう一度掘り出せば、最新技術で精密な分析ができるだろう。
今年4月、ダービルとウェインライトが指揮する調査チームは、サークル内の発掘調査を2週間にわたって行った。ブルーストーンが最初に運ばれてきた時期を特定する証拠を掘り出すのが目的で、本格的な調査は実に数十年ぶりであった。
プレセリ山地ですでに進行中の調査でも、年代を特定できる埋葬物の発見に期待がかかる。人々がプレセリ産の石にこだわった意味を知る手がかりとなるかもしれないのだ。
ストーンヘンジの成立当時を伝える文字の記録は、残念ながら存在しない。文字をもたない先史時代の文化では、すべてのものは多重の意味をもっていた。たとえば、太陽や月を信奉する神殿は天体の動きを映しとる暦であり、祖先の霊をまつって、病気やけがの治療としての“癒し”を行う場所でもあった。神殿に置かれた石は神々を象徴すると同時に、地位と権力をも表した。しかし、新石器時代のイングランドで続いた巨石建造物の伝統は、ストーンヘンジで終わりを迎える。紀元前1500年ごろから人々の足は遠のき、何世紀にもわたって忘れ去られ、荒れ果てていった。
謎に満ちた古代の巨石遺跡、ストーンヘンジは以後も時折、歴史上の記録にその姿をとどめてきた。紀元前1世紀、ギリシャの歴史家シチリアのディオドロスは、3世紀も前に書かれて当時はすでに失われていた文書からの引用を記している。それはギリシャからはるか北、今のフランスの対岸の大きな島にある、「ドーム形の神殿と、アポロをまつった壮麗な一画」について書かれたものだった(興味深いことに、アポロは癒しの神でもある)。さらに時代が下ると、詳細な日記を残したことで知られる英国人サミュエル・ピープスは、1668年の夏に馬と案内人を雇ってストーンヘンジを訪れた時の印象をこう書いた。「それまでいくつもの噂を伝え聞いたが、石は想像をしのぐ大きさだった。はるばる見にいく価値はあるが、一体何を目的に使われたのかは、神のみぞ知るところだろう」
次回は“ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模”に続く
…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(3/3) ……
新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?
ここから1つ、石の建造物が一種の蒸し風呂として使われていたのではという解釈が浮かぶ。共同体の新参者や儀式の参加者が、式典に出る前に体を清めたのかもしれない。もう1つ、単純な解釈として、宴会に出すブタを調理するための薫製小屋という可能性もある。
セント・ジョン・ブルックス氏は、第3の仮説に関心を抱いている。青銅器時代の幕開けを迎えようとしていた当時、ここは新石器時代晩期の人々が、初めて金属を精錬しようとしていた場所では、というものだ。
持続不可能な建設ラッシュ
新石器時代の終わりに、ブリテン島のこの地域で何らかの大きな動きがあったことは確かだ。それによっていくつものモニュメントが次々と建設された。
「尋常ではない勢いでした」とレアリー氏は評する。「新石器時代の人々は環境と調和して生活していたと、私たちはつい考えがちですが、環境への配慮のなさは、現代と変わらなかったようです。これらの巨大モニュメントを建造するために、サステイナブルとは言えないペースで障害物を一掃し、木を伐採し、地面を掘り、周囲の環境を破壊していたのです」
レアリー氏はその背景について、「宗教的な情熱によるものかもしれないし、階級化の進んでいた共同体やその統率者が、富や力を見せつけたいと望んだ結果なのかもしれません」と推測する。
骨や鹿の角で作ったつるはしで地面を掘り、手編みの籠で土を運んでマーデンヘンジを建設するのに、どれだけの労働力と時間が必要だったのだろう。計算すればその数字は膨大で、遺跡がいかに重要であるかを示すはずだ。
「長年、ストーンヘンジばかりが注目を浴びていますが、マーデンこそ、新石器時代を物語ってくれる場所かもしれません」
文=Roff Smith/訳=高野夏美
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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