ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月19日<ⰧⰊⰧ
☆★ この頃から子どもたちに夏休みの宿題が配布される。実際に始めるのは約1ヵ月後からですが。しかし、本日は地球が微笑んだ日。土星探査機カッシーニが太陽の食に合わせて土星全体と地球を撮影した(2013年)。☆★ 太平天国がこの世から消え去る(1864年=曽国藩が天京(南京)を占領し、天京攻防戦が終結)。☆★ レオポンが絶滅(1985年)。最後の個体ジョニーが死亡した。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =5/6= ◆◇
周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが
プレセリ山地の東端、カーン・メニン周辺の露頭からブルーストーンが切り出されていたことは、1923年にすでに確認されていた。その後1991年になって地質学的な調査が行われ、石切り場の範囲が約2.5キロ四方まで特定された。それでも、産地が判明してから80年以上もまともな考古学調査が行われずにきたとあって、英国ボーンマス大学の考古学教授ティモシー・ダービルは、「まったく、信じられないことです」と呆れる。
ダービルはジェフリー・ウェインライトと協力して、2001年からカーン・メニン周辺の本格的な調査を開始した。ウェインライトは新石器時代研究の第一人者で、1960年代に初めてダーリントン・ウォールズを発掘した人物だ。
なぜ巨石を運んだのか
プレセリ山地での調査にはボーンマス大学の小さな研究チームも参加した。その一人、講師のイヴェット・スターレンスは、「ここでは不思議なことが起こります」と話す。ある時、岩石露頭の頂上で、とがった岩に体をつらぬかれたキツネの死骸に出くわしたというのだ。「内臓や血がしたたり落ちていました。キツネを捕まえた大型の猛禽が、上空から岩めがけて落としたのでしょう。それにしても、奇妙な光景でした」。ウェインライトは、岩柱が無秩序に立ち並ぶ風景を示して言う。「これは自然のモニュメントです。ストーンヘンジの石は、わざわざ切り出して整形する必要はありませんでした。ここにある岩柱を運ぶだけでよかったのです」
元々いくつあったかは不明だが、ストーンヘンジには巨大なブルーストーンが80個残っている。最大で高さ1.8メートル、重さは4トンに達し、そのほとんどは乳白色の長石が混じる粗粒玄武岩だ。切り出されたばかりのブルーストーンは雨に濡れると、その名の通り、青みを帯びた光沢を放つ。とはいえ、ブリテン諸島にはほかにもいい石がたくさんある。ウェインライトは言う。「なぜわざわざ400キロもの遠方からブルーストーンを運んだのでしょう? そして、幾度となく手を加えて、建造物を維持していった理由は何だったのでしょうか?」
この疑問への答えはまだ見つかっていないが、手がかりはある。スターレンスがプレセリ山地の現地調査に着手した日の話をしてくれた。「ウェインライトが、同心円状の模様が彫られた岩を見つけたのです。でも、そんな大発見を目の前にしても、ウェインライトとダービルは英国人らしく、まったくもって冷静でした」
プレセリ山地の岩に刻まれた同心円模様は「カップマーク」と名づけられた。ほかにもいくつか見つかっているが、推定年代は紀元前3800年から紀元前2000年ごろと幅広い。細かい年代を裏づける材料となる証拠がないのだと、ダービルは言う。おそらく紀元前4000年ごろの人々は、天を突くように岩柱が立ち並び、独特の雰囲気に満ちたこの地を特別な“聖地”ととらえて、建造物を築いたのだろう。そして、別の場所でも同じ模様を刻みこみ、聖地をしのんだのではないだろうか。
プレセリ山地から切り出した巨石をソールズベリー平原まで運んだ方法についても、議論が百出してきた。かつては、氷河が巨石を押し流したという説もあったが、最新の研究では、それだけで説明するのは無理があるとみられている。やはり何らかの形で、人間が動かしたはずだが、ストーンヘンジまでは最短ルートでも約400キロはある。川を下って、ウェールズの沿岸を進み、セバーン川の河口を渡って、エーボン川上流に至る。当時としてはどれほどの大事業だったのか、今では想像するのも難しい。だがそれでも、人々はプレセリ山地で感じた何か“特別なもの”を、イングランド南部まで運びたいと考えたのだ。
・・・・・・・明日に続く・・・
…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(2/3) ……
新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?
レアリー氏の努力は実を結び始めている。遺跡の中心部にある、保存状態のいい貴重な石の建造物から、青銅器時代初期の墓や遺物が見つかった。美しく仕上げられた矢じりもその1つだ。装飾用に作られたもののようで、いわば新石器時代の宝飾品といえる。
マーデンヘンジのすぐ外にある小さな環状遺跡、ウィルスフォードヘンジからは、10代前半とみられる身長約150センチの人骨が発見された。性別はまだ判明していないが、琥珀のネックレスと一緒に約4000年前に埋葬されたことが分かっている。マーデンヘンジの最盛期よりも数百年後のことだ。
「この場所に埋葬されていたことから、青銅器時代になってもなお、新石器時代のモニュメントがいかに重視されていたかが分かります」とレアリー氏。「おそらく、死者を葬るのにふさわしい、神聖な場所として保たれてきたのでしょう」
薫製小屋か、蒸し風呂か?
石の建造物の中心近くには灰の層が見つかっている。ここで高温の火が長期間にわたって燃え続けていたのだろう。近くでブタの骨がまとまって出土していることから、何頭ものブタを調理したのかもしれない。あるいは、青みがかったサルセン石(イングランド中南部でみられる砂岩の一種)を熱したのかもしれない。付近で見つかったサルセン石のミネラルを調べると、繰り返し高温で加熱された痕跡がある。
「火事があったということではありません」と話すのは、レディング大学で地質考古学を専攻する学生、エルスペス・セント・ジョン・ブルックス氏だ。彼女は土の床部分から見つかった微量の元素を分析し、火の用途を突き止めようと試みている。「炎は地面を10センチの深さまで焦がしています。かなり熱かったことでしょう」
・・・・・・・・・明日に続く
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= Durrington Walls superhenge =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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