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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ11/mn ; 歴史深層(031)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月16日<ⰧⰊⰧ

☆★ メッカでブーイングの嵐だったムハンマドがメディナに逃げる(622年)。即ち、メッカからメディナにヒジュラ(移住)なされた。イスラム教の暦では、これが紀元1年の1月1日らしい。☆★ 本能寺の変でイワされた織田信長の跡目を決める会議が清洲城で開かれ、三法師を擁護する羽柴秀吉の専横が始まる(1582年)。☆★ アメリカはニューメキシコ州で、連鎖的な核分裂反応による破壊的現象を以て三位一体を人類の手で具現化させることに成功(1945年=マンハッタン計画)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =4/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

「硬い石は祖先と男性を、軟らかい木は女性と赤ん坊を象徴しているのです」と、パーカー・ピアソンは話す。

 このような関係が、石で造られたストーンヘンジと木で造られたダーリントン・ウォールズにも当てはまるのではないかと、彼は考える。二つの遺跡からはそれぞれ、エーボン川へと続く「アベニュー」と呼ばれる道が延びているが、ダーリントン・ウォールズのアベニューの長さはわずか167メートルしかない。これに対し、ストーンヘンジのほうは3キロ近くもあり、両側に溝と土手を配したアベニューは、祖先をまつる宗教的な儀式の行列にふさわしいものだった。

 パーカー・ピアソンは、ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズの対照性にも注目している。ストーンヘンジの石は、夏至の日の出と冬至の日没の方向に合わせて配列されているが、ダーリントン・ウォールズのサザンサークルは、冬至の日の出の方向と一致する。また、ストーンヘンジでは土器類がわずかに見つかっているだけなのに対して、ダーリントン・ウォールズでは土器のほか、人々が食べたとみられるブタなどの動物の骨が大量に出土している。宴が頻繁に開かれていたのだろう。さらに、ストーンヘンジには52体の火葬人骨をはじめ、240人の遺骨が埋葬されていたが、ダーリントン・ウォールズでは人骨はほとんど出土していない。

 パーカー・ピアソンの新説に従うならば、ストーンヘンジは亡くなった祖先をまつる場所、ダーリントンは生者のための場所である。人々は季節ごとに、アベニューと川をたどって二つの場所を行き来した。ほとんどの死者は火葬に付され、灰は川に流されたが、身分の高い者だけ、死後ストーンヘンジにまつられた。英国の考古学専門誌「ブリティッシュ・アーキオロジー」の編集者マイク・ピッツも、「この説には多くの専門家がおおむね賛成でしょう」と語る。

ただ、細部には問題が残っている。ストーンヘンジへの死者の埋葬は、石器時代以前には一般的だったというのが、研究者の一致した見解だが、パーカー・ピアソンは、石器時代にも埋葬が続いていたと主張する。しかし、ストーンヘンジ周辺からは、耕作や放牧といった生者の営みの証拠が数多く見つかっている。そんな場所で死者のための儀式を大々的に行っていたとは考えにくいし、サーセン石がストーンヘンジに初めて運ばれた時期についても、意見が分かれている。エーボン川に続くアベニューは、ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズを結ぶ重要な要素だが、造られた年代についてはさらなる裏づけが必要だ。

 ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズで行われた活動の相互の関連については解明すべき謎も残っているが、マイク・ピッツはこう話す。「パーカー・ピアソンの解釈で評価すべき点は、石と祖先を結びつけた発想だけではありません。これまでは、個々の遺跡がばらばらに研究されてきましたが、彼は、この地に生きた人々と遺跡の全体像をとらえようとしたのです」

 遺跡から遠く離れた場所でも、ストーンヘンジの真実に迫ろうとする別の調査が進行中だ。ウェールズ南西部のプレセリ山地にある小さな発掘現場では、ストーンヘンジに使われた最古の石、ブルーストーンを産出した石切り場の調査が進んでいる。ここには粗粒玄武岩や頁岩の露頭(岩が地表に露出した場所)があり、ストーンサークル(環状列石)やドルメン(支石墓)などの巨大な石のモニュメントで古くから知られてきた。丘が連なるこの土地には、太古の神秘的な力を宿しているような、どこか魔法めいた独特の雰囲気がある。ブルーストーンの列石は、構造物がそれまでの木造中心から石造へと変化していく重要な転換点だった。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(1/3) ……

新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?

英国イングランド南部、ピュージー・ベイル。ここには新石器時代の巨大な環状遺跡「マーデンヘンジ」がある。地上からは、その大きさを感じるのは難しい。

 かつては高さ3メートルの壁が約15ヘクタールの土地を取り囲んでいたが、数千年の間に少しずつ失われていった。この一帯は昔から農業に利用されてきた肥沃な土地だった。今はスゲやイラクサに覆われ、ウシやヒツジが草を食んでいる。晴れた夏の日にマーデンヘンジに立ち、辺りを見渡しても、草が風に揺れる平和な農場にしか見えない。

 しかし4500年前の新石器時代、ここはさながら、優れた技術の展示場だった。マーデンヘンジは、15キロほど南にあるストーンヘンジと比べて10倍も大きい。

 マーデンヘンジがなぜ造られたのか、また、新石器時代になぜここで熱狂的なまでの建設ラッシュが起きたのかは誰にも分からない。この周辺には、エイボン川に沿ってストーンヘンジやエーヴベリー、ダーリントン・ウォールズ、シルバリーヒルといった環状遺跡が、数キロおきに点在している。英レディング大学の考古学者、ジム・レアリー氏は、この古代の謎を解明しようとしている。

 今年7月、レアリー氏は公共団体「ヒストリック・イングランド」と協力し、3年にわたるマーデンヘンジの発掘調査に取りかかった。これだけ巨大であるにもかかわらず、これまで考古学者たちはこの遺跡にほとんど関心を向けなかった。注目されるのは見た目のインパクトがより強い遺跡ばかりだったのだ。

「この一帯では、もっと発掘調査が行われるべきです」とレアリー氏は話す。マーデンヘンジが新石器時代の遺跡だと確認されたのは1960年代のこと。それ以降、ここが調査されたのはレアリー氏が主導する2010年と今夏の2回だけだ。

・・・・・・・・・明日に続く

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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