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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ10/mn ; 歴史深層(030)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月14日<ⰧⰊⰧ

☆★ 俺達にも貴族や聖職者と同列に扱えと激昂した商人や弁護士さらには一般庶民が、バスティーユの牢屋を襲って武器を取る(1789年=フランス革命の勃発)。なお、かのコルシカの山師はこの騒ぎに無関心だったとか。☆★ 昭和の妖怪が血祭りに挙げられるが、その妖怪ともいうべき生命力と悪運故に少し後に殺される人間機関車の様にはならなかった(1960年)。孫のことは・・・・・☆★ 『ひまわり1号』が米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられる(1977年)。かくて気象予報士が天気図と睨めっこする時代から衛星写真と睨めっこする時代に。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =3/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

ウェセックス考古学会のアンドリュー・フィッツパトリックは、そのうち成人3人の小臼歯と臼歯を分析した。「彼らはともに6歳まで同じ土地で育った後、移住して別の土地で13歳まで過ごしたことがわかりました」

 幼少期を過ごした地域の候補は、グレートブリテン島北西部、ウェールズ、またはブルターニュ半島と広範囲にわたるが、フィッツパトリックはこう強調する。「重視すべきは彼らの出身地ではなく、この時代の人々が、長距離を旅していたという事実です。先史時代のヨーロッパで人々の移動があったことを、この遺骨は如実に物語っています」

 古代ヨーロッパの移民たちはストーンヘンジを見たり、建造に手を貸していただろうか。まったくありえない話でもない。

 最近の調査から、ストーンヘンジを利用していたことが確かな共同体について、数々の驚くべき成果が新たに見つかっている。「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて2003年に始まった調査だ。英国シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソンを含む6人のチームリーダーの指揮のもとで、ストーンヘンジ一帯の発掘作業を進めている。特に力を入れているのが、直径約450メートルもある巨大なヘンジ、ダーリントン・ウォールズの調査だ。

 ストーンヘンジから3キロ北東に位置するダーリントン・ウォールズは、1812年には早くもその存在が知られ、1960年代にも発掘が行われていた。巨大なヘンジの内側と周囲には、木造の環状構造物が三つあり、柱穴の跡が残っている。そのうちノーザンサークルとサザンサークルはヘンジの内側にあり、後の時代に造られたウッドヘンジは外側にある。「構造物の内部は、何本もの柱や仕切りで目隠しされていたようです。秘密の場所だったのでしょう」と、英国ブラッドフォード大学で木造の環状建造物を専門に研究しているアレックス・ギブソンが説明してくれた。

広大な住居跡の発見

 ダーリントン・ウォールズでは最近、ヘンジの土塁の内側から、見上げるように高く、溝と柵で囲われた二つの構造物が発掘された。ヘンジ全体を監督する高官の住居か、宗教的な儀式の場だったと考えられる。ヘンジの外側にある土手からは、紀元前2600~紀元前2500年ごろのものと見られる7軒の小さな住居の跡が見つかった。家の前からは、燧石(フリントとも呼ばれる硬質の堆積岩)を敷きつめた幅30メートルの道がエーボン川まで延びていた。

 パーカー・ピアソンは、住居跡の一つに足を踏み入れ、床の中央を指差した。石膏でできた床には、楕円形の炉床が切られている。「周りにあるのは、おそらく、炉を囲んだ人々が残した、かかとかお尻の跡でしょう」と、実際にしゃがんでみせてくれた。家の片側には、料理をした痕跡が残っている。木製のベッドの跡など、5軒の家からは家具を使っていた証拠も見つかった。さらに、地球物理学的な調査や試掘調査によって、炉床とみられる多数の痕跡がこの一帯から見つかった。「住居の数は、300軒はあったようです」と、パーカー・ピアソンは言う。

 マダガスカルで現地調査をしたことのあるパーカー・ピアソンは、その経験をもとに、ダーリントン・ウォールズについて大胆な仮説を立てた。それはストーンヘンジの謎に対する、彼なりの“答え”でもある。

 マダガスカルの文化では、石のモニュメントを造って祖先をまつる。肉体が死んだ後に残る硬い骨と死者を永遠にしのぶ思いを石が象徴し、反対に、時間の経過とともに朽ちていく木は、はかない命を表しているというのだ。「硬い石は祖先と男性を、軟らかい木は女性と赤ん坊を象徴しているのです」と、パーカー・ピアソンは話す。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡(2/2) ……

◆地下遺跡の用途
新たに発見された17の遺跡は、多くが神殿のような構造に見える。ストーンヘンジが最も盛んに使われたのと同時期の小さな円形の構造物が、中心にある石の輪の周囲に配置されている。ガフニー氏は、イエス・キリストが磔刑に処せられるまでの道のりを再現する儀式「十字架の道行き」(Via Dolorosa)を例に挙げ、新石器時代にもそれに似た儀式があったのではないかとの見方を示している。

「我々はここで、儀式としての行列や礼拝という概念の誕生を目にしているのかもしれない」とガフニー氏は話す。

4000年以上前にイングランドのソールズベリー平原に建てられた、この謎めいた環状列石は、数世紀にわたって人々に畏怖の念を抱かせ、関心を呼んできた。

手掛かりとすべき文字記録がないことから、この不可思議な巨石建造物をめぐって無数の仮説が唱えられてきた。ケルト人、古代ケルト宗教のドルイド教、ローマ人、さらにはアーサー王伝説との関連まで主張されている。もともと現在のような馬蹄形として作られたのか、完全な円形に石を配置していたのかといった建造当初の形も、盛んな論争の的だ。

今年の夏、ストーンヘンジ一帯でたまたま乾燥気候が続き、かつて石が置かれていたことを示す地表近くの跡があらわになった。しかし、驚くほどの豊富な遺跡が地中に隠れているとは誰も予想しなかった。

◆最新技術で進む調査
高度なリモートセンシングと地下マッピングは、ストーンヘンジに関する知見だけでなく、考古学の方法自体も変えつつある。

スコットランド北方のオークニー諸島でも最先端技術による調査が行われ、ストーンヘンジよりも500年以上古い、全く未知の巨大かつ複雑な新石器時代の神殿群の存在が明らかになった。考古学者らは、この遺跡がストーンヘンジ建設に影響を与えた可能性もあると考えている。
Photograph by Ken Geiger / National Geographic Creative  文=Roff Smith

・・・・・・・・・明日に続く

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= 巨石・ストーンヘンジの謎  新世界紀行 =

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森のなかえ

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