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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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石の絞首台/ストーンヘンシ09/mn ; 歴史深層(029)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月12日<ⰧⰊⰧ

☆★ 愛新覚羅溥儀が僅か12日で清朝皇帝の防衛に失敗し、セコンドの張勲はオランダ大使館に逃げ出す(1917年)。☆★ ミュージシャンの超過激イベントがエキサイトし過ぎて、大リーグの試合が中止に追い込まれる事態に(1979年=観衆がフィールドに乱入。第2試合が没収試合)。☆★ もののけ姫封切り(1997年)。ジブリではワンマン宮崎もやっと引退かと希望が膨らむが、4年後に無理矢理つくらせた千と千尋の神隠しの大ヒットで更に12年も老体に鞭打つことに。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =2/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

    完成までの計画立案と、実際に使われた土木技術。異なる領土を横切って巨石を運ぶには、巧みな交渉術を要しただろうし、運搬の労働力を調達し、必要な装備を与えるのもひと仕事だったはずだ。

    農業や牧畜、狩猟をして生活していた健康な男たちをどう説得して集め、きつい石運びに従事させたのか。そうした人間の営みについては、現代の私たちでも容易に思いうかべることができる。もっとも、彼ら古代ブリトン人がどんな社会を作り、どんな言葉を話していたのかは、ほとんどわかっていないのだが。

 ストーンヘンジができたころ、ブリトン人はすでにカバやマツ、ハシバミの森を切りひらいて土地を開墾し、農業や牧畜を営んでいた。発掘された人骨から判断する限り、彼らは肉体を酷使する生活を送っていたにもかかわらず、体格はきゃしゃだったようだ。

 ブリトン人の遺骨には虫歯が少ないことから、糖分を含む炭水化物の摂取量が少なかったことがわかる。平均寿命の推定は難しいものの、彼らは概して健康に生きていたようだ。

 だが今も昔も、人生には予期せぬ災厄がつきものだ。英国セントラル・ランカシャー大学で、法医学および科学捜査の講師を務めるマイケル・ワイソッキがこんな話を聞かせてくれた。「鈍器で殴られたような跡のある頭蓋骨が、全体の5~6%も見つかっています。男女ともその割合は同じです」。儀式などでいけにえにされたのか、単に暴力的な行為がはびこる時代だったのか。傷の原因については想像するしかない。

 近年になって、まったくの偶然から、特定の個人の生涯をかいま見せてくれるような重要な手がかりが発見された。2002年、ストーンヘンジの南東4キロの場所で、紀元前2500~紀元前2300年の2基の墓が発掘されたのだ。エーボン川東岸のボスコム・ダウンに埋葬されていたのは、年齢35~45歳の男性と、その息子の可能性もある親族の若者だった。年かさの男性は片脚の損傷が激しく、おそらく歩くのもままならなかったはずだ。

 男性の墓からは、多くの副葬品も見つかった。金の髪飾りに銅製のナイフ、火起こしの道具、石を磨いて作った射手の腕輪、金属加工の台座にする石など、英国で発掘された同時代のものでは、もっとも豪華な副葬品だ。広口で独特な形をしたビーカー式土器は、当時のヨーロッパ大陸ではよく使われていたようだが、ブリテン諸島で見つかるのは珍しい。研究者たちはこの男性に「エームズベリーの射手」という呼び名をつけた。

 さらに、二人の歯のエナメル質を分析すると、驚くべき事実が判明した。若者は地元ウェセックス地方の出身だが、エームズベリーの射手はアルプス山脈のふもと、現在のスイスとドイツにまたがる地域の生まれだったのだ。

 古代の墓に眠っていた揺るぎない証拠から、この二人の人生が浮かびあがってきた。エームズベリーの射手は、ヨーロッパから移住してきた。優れた金属加工の腕をもつ職人で、最先端の土器を携えてブリテン諸島に渡った彼は、ウェセックスで成功を収めた。富と社会的な地位を手に入れ、家族と幸せに暮らしていたのだろう。

 この裕福な男性と若者の墓が発見されてから1年後、500メートルと離れていない建設現場で、ほぼ同時代の墓所が見つかった。パイプを敷設していた作業員が偶然掘りあてたその墓には、親族同士とみられる7人の遺骨があった。少なくとも4人は男性で、エームズベリーの射手と同様、地元の生まれではなかった。ウェセックス考古学会のアンドリュー・フィッツパトリックは、そのうち成人3人の小臼歯と臼歯を分析した。「彼らはともに6歳まで同じ土地で育った後、移住して別の土地で13歳まで過ごしたことがわかりました」

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡(1/2) ……

イギリス南西部の巨石遺跡、ストーンヘンジ周辺の地中に、古代の遺跡、建造物、塚からなる未知の複合遺跡が数千年も眠っていたという驚きの調査結果が出された。研究者らは最新の技術を用いて地下の様子を探り、遺跡の存在を突き止めた。 新たに見つかったのは儀式に使う17の遺跡で、巨大な「死者の家」の跡、数百もの埋葬塚、そしてストーンヘンジの周囲をめぐる行列の道筋と思われる道の跡などが含まれる。

また、ストーンヘンジにほど近い遺跡ダーリントン・ウォールズの場所に、周囲1.5キロに及ぶ「スーパーヘンジ」があった証拠も見つかった。かつては60もの巨石や木の柱が配置されてお、その一部はまだ地中に埋まっている可能性がある。

今回の発見は、ストーンヘンジを取り巻く一帯の高解像度3D地下マップを製作するという4年がかりの事業「ストーンヘンジ地中景観プロジェクト」(Stonehenge Hidden Landscape Project)の成果だ。

英国のバーミンガム大学と、オーストリアのルートビッヒ・ボルツマン研究所の研究者たちがプロジェクトチームを率いている。チームは地下レーダー、高解像度磁気探査機、その他最先端のリモートセンシング機器を使い、深さ約3メートルの地中の状態を地図に表した。

合計で12平方キロ近くが探査機によって「発掘」されたこの調査は、同種のものとしては世界史上最も広大かつ野心的なプロジェクトとなった。
中心となった研究者で、バーミンガム大学の景観考古学教授ビンス・ガフニー(Vince Gaffney)氏は、「地下に遺跡があるとは誰も考えていなかった」と驚く。「ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、豊富な遺跡から成る光景の一部だったことが分かった」。

・・・・・・・・・明日に続く

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= Stonehenge, Avebury and Associated Sites (UNESCO/NHK) =

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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