ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年06月25日<ⰧⰊⰧ
☆★ 江戸幕府、長崎の沖合にオランダ人の収容所を設置(1641年)。☆★ 時が流れ、金日成が冷戦に満足できず、38度線を越えてものすごくホットなバトルロワイヤルを仕掛ける(1950年)。☆★ 宮城道雄が寝台急行銀河に乗車中、何を勘違いしたか自分の生涯を途中下車(1956年)。
本日記載附録(ブログ)
グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石
最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された
夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 夏至について知っておきたいこと =2/2= ◆◇
夏至はなぜ起こる? 世界ではどう祝われる? 「最も暑い日」ではないのはなぜ?
多くの文化が独特な方法で夏至を祝ってきた。スカンディナビアの伝統的な夏至祭では、メイポールと呼ばれる柱を立てて周りで踊り、酒を飲み、恋に花を咲かせる。スラブ民族の「イワン・クパーラ」の祭りでは、人びとが花輪をかぶり、かがり火を囲んで踊る。勇気をもって火を飛び越えた人は、幸運と健康になれるという。
比較的最近できた伝統としては、米国アラスカ州のフェアバンクスで1906年から行われている「ミッドナイトサンゲーム」がある。夏至日にバスケットボールの夜間試合を行って、昼の長さが22時間半にもなることを祝う。
南半球ではこの時期、冬至の祭りを祝う。インカ帝国では、強大な太陽神インティをたたえてインカの新年を祝う「インティ・ライミ」の祭典が、南半球の冬至に合わせて6月24日に催された。この祭りは今でもアンデス地方各地で行われており、1944年からは再現されたインティ・ライミが、インカ帝国の首都から3キロほどしか離れていないペルーのクスコで開催されている。
至に関する誤解
夏至や冬至が1年のうちで最も明るい、あるいは暗い日であるなら、なぜ気温にはそれが反映されないのだろうか?
一言で言えば、地球上の陸や海が温まったり冷えたりするのに時間がかかるからだ。米国では、最も気温が下がるのは1月中旬過ぎであり、北半球の冬至の約1カ月後だ。同様に、米国では夏至の数週間後の7月と8月に最も暑くなる。
地球の自転速度が低下しているため、夏至が来るたびに昼の長さが伸びていると考えている人がいる。しかし、これは間違いだ。
数十億年の間に地球の自転速度が遅くなったのは事実だ。地球は、潮汐による海底と海水との摩擦(潮汐摩擦)によって回転エネルギーを失っているからだ。サンゴの化石の成長線から、4億年以上前には地球の1日が22時間未満だったことがわかっている。
地球の自転速度には、潮汐摩擦による長期的な速度の低下以外にも、さまざまな要素が関わる。フィギュアスケーターがスピンをしているところを想像してみて欲しい。手足の曲げ伸ばしによって回転を早くしたり遅くしたりしているだろう。同じように、エルニーニョ現象による風からグリーンランドの氷の融解まで、さまざまな要因で地球の質量分布が変化することによって、地球の回転速度はわずかながら上下する。
これらすべてを考慮すると、1830年代以降で1日の長さが最も長かったのは、1912年のいずれかの日だったと考えられている。その日は最近の平均に比べてわずか4ミリ秒(1000分の4秒)弱だけ長かった。
文=MICHAEL GRESHKO/訳=山内百合子
次回は“「ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模」”に続く
…… 参考資料: ストーンヘンジの不都合な真実… =2/4= ……
「20世紀の完全な作り物」説、何度も大規模修復し隠蔽
内情を知る人々のなかには、ストーンヘンジのことを「20世紀の遺産業界の産物」と称する考古学者もいる。英ケンブリッジ大学の考古学記録の保管人で作家のクリストファー・チッペンデール氏は、ストーンヘンジで我々が目にするもののほとんどがなんらかの形で手が加えられていると言う。特に、30kmほど離れたエーヴベリーのストーンヘンジに関しては、1920年代にほぼすべてが立て直されたという。
また、歴史研究家のブライアン・エドワーズ氏は「あまりにも長い間、ストーンヘンジの復元作業に関しては伏せられてきた。それについてほとんどの人が知らないことに驚いている。将来、ガイドブックがすべてのことを伝えるようになればいい」と語っている
知られざる調査と発掘の歴史
記録にある最初の調査は1798年、大規模な調査は1900年に行われ、発掘作業は国有化されたあとの1919年から26年まで行われたとされる。だが、一般的に使用されている「調査」や「発掘」という言葉は現実的には不適切で、「復元」が相応しいと思われる。
というのも、19世紀末までは、ストーンヘンジを構成する巨大な組み石(トリリトン)や立石(メンヒル)は崩れかかっていたが、1900年からの「調査」や19年からの「発掘」によって、それらの多くが垂直に立て直されたからである。すなわち、巨石は一度取り除かれ、穴が掘り直され、垂直に立てて戻される際、巨石の足下は頑丈なコンクリート基礎で固められたのだ。
そんな復元計画に関して、当時の英国の新聞「タイムズ」には反対の声が多数寄せられたという。おそらく、遺跡にどのくらい手を加えるべきか議論されたのだと思われるが、調査や発掘という言葉の意味を超えて復元作業は強行されることになった。
当時の調査・発掘の詳細はほとんど公表されていないが、わずかに写真資料は残されている。例えば、1901年の写真を見ると、「調査」においてすでに大規模な復元作業が行われていたことがわかる。
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= ストーンヘンジは戦後できたハリボテ遺跡 Fake Rocks in Stonehenge =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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