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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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タイタニック号の処女航海_18/20 ; 歴史深層(018)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年06月16日<ⰧⰊⰧ

☆★ 秤屋とタイムレコーダー屋とパンチカードの会社が、経営不振だったもの同士合併(1911年=IBMの前身「C-T-R社」が設立)する。 やがてビッグブルーとしてコンピュータ世界に君臨するとは、当時誰も予想しなかった。☆★ 第二次世界大戦でナチスに蹂躙される一方だったフランスの首相に第一次大戦の英雄が就任する(1940年)が、5日後には早々と白旗を掲げ国民の期待は裏切られることとなる。☆★ 同志レオニード・ブレジネフが党の書記長だけで満足せず、ソ連のトップに就任(1977年)。なお6年後の同じ日に後任のアンドロポフが同じことをやり、いみじくもつるふさの法則の例証となった。

本日記載附録(ブログ)

「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した

……そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』……

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ 世紀の大発見「タイタニック号、発見!」のウソ ◆◇

前に、この『ナショナル ジオグラフィック』にて深海生物の“世紀の大発見”を紹介しました。見つけたのはナショナル ジオグラフィック協会がずっと支援をしている地質学者のち海洋考古学者のロバート・バラードです。でも、ロバート・バラードといえばやっぱりタイタニック号ですよね。これも“世紀の大発見”でしょう。というわけで、今回はバラードの世紀の大発見として、タイタニック号をとりあげてみます。

 ロバート・バラードがタイタニック号を発見したのは1985年9月1日のこと。場所はカナダ・ニューファンドランド沖550キロの水深約3800メートルの海底です。大発見のニュースは一気に世界をかけめぐり、『ナショナル ジオグラフィック』の1985年12月号にはバラード自身が「我々はいかにしてタイタニック号を見つけたのか(How we found TITANIC)」という詳しいレポートを『ナショナル ジオグラフィック』に寄せています。

 この号の日本版はありませんが、その後もタイタニック号の特集はいくつか出ています。沈没から100年となる2012年4月号の特集「タイタニック 沈没の真実」をはじめ、タイタニックに乗船した唯一の日本人を祖父にもつ細野晴臣さんのインタビュー「タイタニック 祖父の真実」、また、2004年12月号「深海底で崩れゆくタイタニック」など、さまざまな話があるのでぜひご覧になってみてください。

それはそれとして、『ナショナル ジオグラフィック』には極めて珍しいことに、1985年の記事でバラードはひとつウソを書いています。

 それは「2カ月近くにわたりタイタニック号を探した」というくだり。

 バラードがタイタニックを探せる期間は、実はわずか2週間足らずでした。短い期間で見つけたほうがインパクトも大きかったはず。なのに、なぜそんなウソをついたのでしょうか。

 理由は海軍との密約でした。

 深海生物はたまたま見つけたことを前回書きましたが、タイタニック号はそれとは対照的。小さい頃はジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』のネモ船長に憧れていたバラードにとって、タイタニック号を見つけることは長年の夢でした。

 でも、タイタニック号の探索には莫大な費用がかかります。バラードは資金集めから始めなければなりませんでした。おまけに、ほかにもタイタニック号を探そうとする夢追い人(主に大金持ち)が何人かいたために、彼はあせっていました。当時の心境を彼はこんなふうに語っています。

「技術や船、潜水艇が必要でした。まるでシンデレラです。夜中までに何とかして、靴、ドレス、馬車、御者を借りてこないとカボチャになってしまうという(笑)。時間がない切迫感に襲われていました」。

 そこでバラードは米海軍に支援するよう話を持ちかけます。最初は正面突破をしてニベもなく断られるものの、彼がある取り引きをもちかけると、もし任務をこなして時間が余ればタイタニック号を探していいと海軍は内諾します。

 その任務とは、1960年代に沈んだ2隻の原子力潜水艦、スレッシャー号とスコーピオン号の発見でした。

 スレッシャー号は1963年の試験潜航で129名の乗員とともに沈没。当時、海軍はパイプが破損して浸水し、原子炉が非常停止したせいで動力を失って沈没したと結論していましたが、裏づけはとれていませんでした。また、スコーピオン号は1968年にアゾレス諸島沖を潜航中、なぜか突如として姿を消しました。原因はわかりません。そして、どちらの潜水艦も原子炉の状態はずっと不明でした。

 ベトナム戦争中に海軍に所属していたバラードは海軍がこの2隻をずっと調査したがっていることを知っていました。また、冷戦中のために2隻の探索を極秘にしたかった海軍はタイタニック号の探索を隠れ蓑に使いました。両者の思惑はぴたりと一致、取り引き成立です。

 1984年からバラードは原子力潜水艦の探索に取り組み、その年に首尾よくスレッシャー号を発見します。1985年は割り当てられた2カ月のうちのほとんどをスコーピオン号の探索にあて、2隻の原子炉格納容器が壊れていないことが確認できました。

 で、結局、先にも書いたように、残された時間が2週間足らずになってしまいます。バラードにとってはえらく不利な取り引きに思えるかもしれませんが、実はそうでもありません。

 2隻の原子力潜水艦はともに深海に沈む途中で圧力によって押しつぶされていました。そうやって船が沈むと、潮流に流されて彗星の尾のように残骸の帯が長く伸びることをバラードは発見したのです。85メートルの潜水艦の破片はおよそ2キロにもわたっていました。

 これはとても重要な発見でした。

 もしタイタニックが真ん中からふたつに折れて沈んだなら、その残骸も同じように散らばるだろう。バラードはそうにらんで、以前のように海底をくまなく探すのではなく、およそ1800メートルの間隔をあけて、潮に流された残骸の帯を横切るように高性能のカメラを沈めてスキャンします。この方法が大正解でした。

 つまり、バラードは2隻の潜水艦を事前に探索していたおかげでタイタニック号を発見できたのです。そもそも海軍の支援がなければ何もできなかったわけだし、結果的に悪くない取り引きだったのではないでしょうか。バラードが米海軍の極秘任務についてしばらく一切公表できず、『ナショナル ジオグラフィック』にウソを書かざるを得なかったとしても。

次回は“沈没100年、タイタニックに迫る危機”に続く

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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