ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年06月09日<ⰧⰊⰧ
☆★ ローマ帝国市民からのブーイングの嵐に耐えきれず、皇帝陛下が手前で自殺に追い込んだ最初の妻との結婚記念日に彼女の許へお詫びに行く(68年) 。 因みに、53年-後にローマ皇帝となるネロがオクタウィアと結婚。☆★ モンゴル人が朝鮮人を従えて海を越えて7年前のリベンジに挑む(1281年=弘安の役=)が、数ヶ月も抵抗受けた挙句台風でギブアップする破目に。☆★ 椋鳥の日。椋という語呂合わせであるばかりか、男と女(場合によっては男同士・女同士のこともある)が互いに肝心なトコロを愛し合う行為の隠語だったりする。
本日記載附録(ブログ)
「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した
繁栄、衰退、復活---タイタニック号を生んだ造船所は今も北アイルランドの誇り
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ タイタニック号の故郷ベルファスト ウオーターフロントの旅=1/2= ◆◇
1900年代初頭、ベルファストの造船所は、世界最高の船を生み出すとして、海を越えて称賛されていた。造船所は悲劇の豪華客船タイタニック号を建造し、100年にわたって英国北アイルランド最大の都市の経済発展に貢献し、2つの世界大戦を乗り越えた。
英国と独立を目指すアイルランドの長きにわたる血みどろの戦い、アイルランドの再統一を目指すカトリックの「共和派」と北アイルランドの英国残留を希望するプロテスタントの「王党派」との30年に及ぶ「厄介事」を目撃した。そうして2003年、最後の船を完成させると、造船所はその歴史の幕を下ろした。
北アイルランドの誕生から100年が経過した今、この工業地帯は観光施設タイタニック・ベルファストや歴史的な海事関連施設を擁する英国有数の観光地に生まれ変わっている。タイタニック号が建造された船台は街を代表する野外パフォーマンス会場になり、その活気が評価され、ベルファストは2021年、ユネスコの音楽都市に選ばれた。さらに、ケネス・ブラナーの新作映画「Belfast(ベルファスト)」では、造船所が映画館の大型スクリーンを彩っている。激動の1960年代をこの地で過ごしたブラナー自身の幼少期から着想を得た映画だ。
かつて世界一の生産量を誇った造船所は、今は街の核を成す存在ではないが、この土地の歴史を包み込む場所として存在感を放っている。34万人のベルファスト市民にとって、造船所は街の遺産を照らし出すだけでなく、地域社会を結び付け、インスピレーションを与える役割も果たしている。
タイタニック号の野心
19世紀後半、ベルファストの造船所はアイルランド最大の惨事を乗り越え、街のかじ取り役を担った。1845~1851年、アイルランドは大飢饉(ききん)に見舞われた。ジャガイモの疫病に英国の残酷な政策が加わり、最終的に100万人が死亡し、200万人が国外に脱出した。
人々は職を求めてベルファストに押し寄せた。ベルファストの人口は1851~1901年に4倍まで膨れ上がり、多くの人が造船所の仕事に就いた。ベルファスト・タイタニック協会の会長スージー・ミラー氏によれば、1900年代初頭にはハーランド・アンド・ウルフが世界最大の造船会社になり、同じベルファストのライバル、ワークマン・クラークが世界第5位にランクインしていたという。
この繁栄のさなか、ハーランド・アンド・ウルフがタイタニック号を生み出した。タイタニック号は世界最大の客船で、1912年の処女航海中、氷山に衝突、沈没した。乗員乗客合わせて2200人以上のうち約1500人が犠牲になった。1997年に公開され、史上最大級の興行収入を記録したジェームズ・キャメロン監督の映画「タイタニック」をはじめ、この物語は多くのドラマティックな改作によって広く知られている。
事故の後、原因を究明するために2つの大規模な調査が行われ、メディアは上級スタッフの責任を追及し、ベルファストの街全体が喪に服した。
変化の波
タイタニック号が北大西洋に沈んだ直後の10年間、アイルランドが英国からの独立を積極的に推し進め、造船所は複雑な政治、社会的対立に巻き込まれた。英クイーンズ大学ベルファスト校の名誉教授で、アイルランドの歴史を専門とするショーン・コノリー氏によれば、背景にはベルファストの長年にわたる宗派対立があり、造船所の火種にもなっていたという。
第1次世界大戦後の不景気で仕事が減り、ベルファストのウオーターフロントにも不況の波が押し寄せた。そして1920年、くすぶっていた火種がついに爆発。カトリックを中心とした数千人の労働者が造船所から追放された。「(第1次大戦で)忠誠心の高いプロテスタントが王と国のために戦っている間、カトリックは造船所の仕事をしていたという主張が怒りを増幅させました」とコノリー氏は説明する。
その後の造船所の運命は何度か大きく揺れ動く。第2次大戦で立ち直ったかと思えば戦後は落ち込み、クルーズ船の建造によって回復したかと思えば1960年代は航空ブームのあおりを受けて急激に衰退する。そして2003年を最後に船が建造されなくなると、造船所があったウオーターフロントの再開発が計画された。こうしてタイタニック号の海難事故から100年目にあたる2012年、「タイタニック・クオーター」がオープンした。
現在、北アイルランドは多くの国を対象に、ワクチン接種を終えた旅行者を受け入れている。そして、この地区にも観光客が押し寄せている。1億3500万ドルをかけて建設されたタイタニック・ベルファスト、かつてタイタニック号の乗客を運んだノマディック号、マリーナや博物館、アートトレイル、歴史的な船舶関連施設を巡る遊歩道マリタイム・マイルを楽しむことができる。
タイタニック・ベルファストはベルファスト随一の観光名所であり、タイタニック号の遺物を展示しない方針であるにもかかわらず、使い古されたタイタニック号の物語の新たな側面を見せることに成功している。沈没したタイタニック号は1985年、米国の海洋学者でナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー・イン・レジデンスでもあるロバート・バラード氏によって発見された。
マリタイム・マイルの遊歩道は、ダウンタウンのクイーンズ・スクエアから出発する。ラガン川の左右どちらかを北上していくと、ベルファストの海運の広範な歴史を伝える名所がずらりと並ぶ。
クラレンドン・ドックはベルファストに現存する最古のドックだ。シンクレア・シーメンス教会には海事関連の遺物が多数展示されている。グレート・ライトはかつてベルファストで最も大きな灯台の光学装置だった。タイタニック号を建造したドックとポンプ室もある。ベルファスト・ハーバー・ヘリテージ・ルームでは「A Port That Built a City(1つの都市をつくった港)」という常設展示が行われている。
・・・・・・明日に続く・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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