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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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タイタニック号の処女航海_14/mn ; 歴史深層(014)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年06月07日<ⰧⰊⰧ

☆★ 誕生花は薔薇。花言葉は「燃えるような愛」でも「甘いひと時」でもなく「嫉妬」「薄れ行く愛」だったりする。更には、“むち打ち治療の日”……交通事故は後を絶たない☆★ カトリック諸国の商船を襲っては暴利を貪っていた海賊の本拠地に天罰が下る(1692年=ジャマイカのポート・ロイヤルで大地震=)。☆★ 多摩川の河川敷を使って日本初の珍走チャンピョンシップが開かれ、ホンダのオヤジやNISSAN財閥のオーナーもエントリーするが散々な結果に終わる(1937年)。

本日記載附録(ブログ)

「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した

・・・・・・・・・“前方に氷山!” / 23時38分46秒

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ タイタニック沈没は天文現象のせい? ◆◇

タイタニック号沈没100周年を数週間後に控え、近代史上最も著名な海難事故の原因解明に一石を投じる新しい理論が発表された。 研究論文によれば、1912年の4月14日の悲劇は、太陽と満月と地球のめったにない並びによってもたらされた可能性がある。

 タイタニック号が沈没したのは月のない夜だったが、タイタニックを沈めた氷山が漂流し始めたのは、事故から3か月半前の満月に一因があるという。

 論文の著者でテキサス大学の天文学者ドナルド・オルソン氏によれば、満月を迎えた1912年1月4日は潮の満ち引きの差がことのほか大きく、いくつもの氷山が南へ流出して不幸にもタイタニックの処女航海に出くわしたという。

◆原因は月にある?

 1912年春に例年より氷山が多かったことは、当時すでにわかっていた。しかしなぜそうなったのかは謎だった。

 オルソン氏は氷山の大量発生について、「スーパームーン」を含む天文現象のめったにない組み合わせの結果だったと考えている。スーパームーンは、毎月発生する月の近地点通過と満月が重なることを言う。

 満月および新月のとき、太陽と地球と月は一直線に並び、地球に加わる太陽と月の重力の影響(潮汐力)が強まる。その結果、潮位の変化が普段より大きくなり、大潮と呼ばれる現象が起きる。

 そして1912年1月4日の満月、すなわち大潮が起きる位置関係は、月がいつもより地球に近づくわずか6分前まで続いた。

 当日は実に西暦796年以来、最も月が地球に近づいた日だった。これほどの大接近は2257年まで発生しない。月の大接近と天体配列の関係で、地球にもたらされた潮汐力はとても強くなり、潮位の変化も非常に大きくなった。

◆潮汐とタイタニック

 では、どのようにして大潮がタイタニックの事故に繋がったのか。 まず、グリーンランドのフィヨルドに張り出した氷河の先端が大潮に揺られて砕け、大量の氷山が南に向かって流れ出すことがある。

 ただし氷山の速度は遅いため、1月4日の大潮で生じた氷山が4月14日までにタイタニックの前へ到達することはなかっただろうと、オルソン氏らの研究チームは結論づけた。

 同氏によれば、1月4日に起きた大潮は、さらに前に海へ流れ出し、カナダのラブラドール半島からニューファンドランド島沖の浅瀬に着底していた氷山に影響した可能性があるという。

 この地にたどり着いた氷山は、通常ならある程度以上溶けるまで再び浮き上がって動き出すことはない。しかし高潮が発生すれば話は別だとオルソン氏は話す。

 1月4日に発生した異常に大きな潮位の変化によって、着底していた氷山の大半が一度に浮かび上がり、大量の氷山がタイタニックの航路に向けて南進したという。

◆果たして潮汐の問題か?

 オルソン氏の理論は興味深いが、誰もが納得しているわけではない。 たとえば、シカゴにあるアドラープラネタリウムの天文学者ゲザ・ギュク氏は、1912年1月4日の大潮が非常に大きかったという点に異論を唱えている。ギュク氏によれば、月の近地点通過と満月または新月が重なるのは数年おきに起きており、氷山の発生にはあまり影響しないという。

 さらに潮汐力の増大についても、満月および新月になる天体配置と月の近地点通過の時間差は、6分以内でも数日内でも大差ないとギュク氏は言う。「月の近地点通過の前後1日程度の範囲なら、満月がいつになっても潮汐力にはほとんど差がない」。

 さらに、1912年1月4日の月と地球の距離は、平均よりもわずか6200キロほど近かったに過ぎないという。「その日の近地点通過時と、平均的な近地点通過時の潮汐力の違いはたった5%程度だ」。

 今回の研究の共著者オルソン氏は、ギュク氏の指摘に異議は唱えなかったが、着底した氷山が再び動き出すのに、とてつもなく大きな潮汐力が必要なわけではないと述べた。「満潮時に浜へ手こぎボートを引き上げ、そのまま放置したと考えてみて欲しい。 極端に高くない潮位でも、ボートが流れ出すには十分だ」。

 さらにオルソン氏は、「1912年1月の記録的な潮位について、世界中にいくつもの話が残っている」と付け加えた。 = タイタニックと月の関係に関する論文は、「Sky & Telescope」誌の4月号に掲載されている。 =

・・・・・・・・・“前方に氷山!” / 23時38分46秒

タイタニックが致命的な事故に近づく時までに、ほとんどの乗客は眠りについており、船橋の指揮は二等航海士チャールズ・ライトラーから一等航海士ウィリアム・マクマスター・マードックに移管されていた。監視役のフレデリック・フリートとレジナルド・リーはデッキから29メートルの高さにある見張り台にいた。気温は氷点下近くまで下がっており、海面は完全に鎮まっていた。事故の生存者であるアーチボルド・グレイシー大佐は「海は鏡のようで、星がはっきり映るくらい水面がなめらかだった」と後に書いている。現在では、このように極めて凪いだ海面は近くに叢氷があることを示すものと認識されている。

空気は澄んでいたが月は見えず、海が静か過ぎて、近くにある氷山の場所の手がかりになるようなものは何もなかった。海がもう少し荒れていたら、氷山にぶつかる波の影響でもっと場所が見えやすくなったであろう。それにもかかわらず、ライトラーが他のクルーに氷に対して注意するよう周知していたので、監視役は氷の危険性があることには気付いていた。

23時30分、フリートとリーは前方の水平線上にかすかながあることに気付いたが、これを特に重視しなかった。9分後の23時39分に、フリートはタイタニックの進行方向に氷山があるのを見つけた。フリートは監視鐘を3回鳴らし、船橋に電話をして六等航海士ジェームズ・ムーディに知らせた。

フリート「Is anyone there?(訳: 誰かいないのか?)」 ムーディ「Yes, what do you see? (何があったんだ?)」 フリート「Iceberg rightahead! (前方に氷山がある!)」 ムーディ「Thank you. (わかった。)」

フリートに感謝の意を伝えたあと、ムーディはメッセージをマードックに伝達し、マードックは操舵員のロバート・ヒッチェンスに航路を変えるよう命じた。マードックは船の進路を左方向に変えるべく「(舵輪を)右舷一杯 」("Hard a'starboard")、つまり取り舵一杯と命令したと信じられており、この結果、舵柄が右舷一杯に動かされた。マードックはエンジン命令電信で「全速後進」("Full Astern")をも告げた。

次回は“タイタニック号の故郷ベルファスト ウオーターフロントの旅”に続く

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= The Olympic class  https://youtu.be/WHVeaSPO86M =

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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