ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年05月26日<ⰧⰊⰧ
☆★ 日蓮が、房総半島の山の上で初のストリート説法を行いデビューする(1253年=立教開宗)。☆★ 迫りくるナチスドイツに対し、イギリス・フランス・ベルギーがタッグを組んで戦いを挑む(1940年=ダンケルクの戦い)が、結局1万人の人命と3万人の捕虜を差し出してヨーロッパから逃げ出した。&so、ニクソンショックのあおりで、米ソ競演花火大会も縮小の方向へ(1972年=「弾道弾迎撃ミサイル制限条約」に調印)。☆★ とある炭坑夫の絵日記や落書きが、日本で初めてユネスコ公認の歴史資料となる(2011年=山本作兵衛作の「筑豊炭鉱画」)。
本日記載附録(ブログ)
「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した
---そのタイタニックに1人の日本人が乗っていた。細野正文さんである---
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ タイタニックは人類への警鐘である 2/2 ◆◇
最近も豪華客船の座礁事故があったり、船内火災があったり。人間は、過去に大きな過ちがあっても忘れてしまいますからね。
僕も娘が1人、男の子の孫が1人いますが、タイタニックの因果はぼくの世代で終わって欲しいものです。
――今を生きる世代として、何か伝えておくべきことはありますか。先ほど、子孫に対して責任があるといわれました。
ことさらに何かを伝えることはないですね、それぞれの生き方があるから。災害でも、震災でも、ひとりひとりに物語がある。ひとまとめに語れる言葉などないと思います。
ただ、タイタニックは、常に警鐘を発し続けるのだと思います。
去年の3.11と原発事故は、歴史的にけっして忘れ去られることはないでしょう。太平洋戦争、広島長崎もそうです。皆が忘れられないのは、何がしかその時代を映す事件だったからではないかと思います。
タイタニックが沈んだあと、そこから何かが変わらなければならなかったはずだし、変わった部分もあったはずです。
でも、最近起こっていることを見ると、本質的には何も変わっていない。タイタニックは、それを考えるきっかけになります。
――その警鐘を聞き取るアンテナを失わないことが、いつの世代でも大切だということですね。
僕は、タイタニックという名前を聞けば、そういう警鐘だと受けとめます。生還した祖父の存在があるから、とくに敏感にそう反応するのだと思います。文明に頼りすぎることへの警鐘は、何らかのかたちで伝えられると思う。キャメロンの映画もそうですしね。
僕は映像作家ではないけれど、祖父の視点でタイタニックを映画化したらどうなるだろうと、つらつら想像したことがありますよ。でも、音楽なら、いずれタイタニックを、自分なりに表現することがあるかもしれないですね。
尚、細野正文さんの手記全文“日本人ノ恥ニナルマジキ” ……万死に一生を得た彼は遭難から生還までの体験を4300字近い手記全文はURL:
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120323/303232/?P=9 にて閲覧できます。
次回は“崩壊進むタイタニック、実は壮絶な沈没だった”に続く
…… 参考資料: タイタニック(客船) =9/11= ……
操船ミス説
2010年9月に、二等航海士のチャールズ・ハーバート・ライトラーの孫、ルイーズ・パッテンは、イギリスのデーリー・テレグラフに対し、「ミスがなければ、氷山への衝突を避けることは簡単だった。氷山が近くにあるのを見てパニックに陥った操舵手が、間違った方向に舵を切った」と語り、基本的な操舵ミスが原因だったとしている。
記事によるとマードックが氷山を発見したのは衝突の4分前、衝突時に減速がほとんど効いていなかったとされることから氷山との距離は約2,700メートルであったと算出される。これは十分に停止可能な距離であるが、マードックは操舵のみで回避できると判断し、ロバート・ヒッチェンズ操舵手に「Hard Starboard!」の号令をかけた。この号令は帆船時代からの名残で「舵輪を左に回して“舵柄を右に動かし”左へ急速回頭する」の意味で使用されており(Tiller Orders・間接法)、タイタニックでも採用されていた。しかし蒸気船式の号令(Rudder Orders・直接法)では「舵輪を右に回して舵柄を左へ動かし“右へ急速回頭する”」を意味するため、直接法で訓練されていたヒッチェンズ操舵手はパニックに陥り、舵輪を右に回してしまう。操舵手のミスに気づいたマードックは左回頭に修正したが手遅れであった。「後進一杯」が発せられたのはこの修正時と思われる。
同記事には「ブルース・イズメイ社長が船長に微速前進での航行を命令したことにより、船首に水圧がかかり浸水が早まった。前進していなければカルパチアが到着するまで沈むことはなかった」との証言も記載されている。実際に、衝突直後に計測された現在位置と沈没現場には数海里の誤差がある。
事故後、ライトラーは海運会社の倒産を恐れ、調査でもミスを隠したと説明している。
事故後、南アフリカのケープ・タウンの港湾長に任じられたヒッチェンズ操舵手は知人のヘンリー・ブラムらに「タイタニックの事故に関して秘密を守るためにケープ・タウンまで送られた」と告白しているが、関連は不明である。
船体すり替え説
タイタニックには、姉妹船として「オリンピック」がタイタニックより1年ほど早く北米航路に投入されていた。オリンピックは、タイタニックが就航する前に2回事故を起こしている。
1911年9月30日、サウサンプトン沖合いでイギリス海軍防護巡洋艦「ホーク」と接触、船尾が大破した。この事故はイギリス海軍査問会にて審理され、オリンピック側のミスと認定、海難保険は一切降りなかった。 1912年2月24日、大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてスクリューブレード1枚を欠損したうえ、船体のキールに歪みが出るほどの損傷を受け、長期間の修理を余儀なくされる。この2つの事故を鑑みて、「オリンピックは近い将来廃船される予定だったのではないか」というのが、船すり替え説の論拠となっている。つまり、廃棄寸前だったオリンピックを、内装や若干の仕様を変更させて「タイタニック」に仕立て上げて、故意に氷山にぶつかったというのである。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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