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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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タイタニック号の処女航海_08/mn ; 歴史深層(008)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年05月24日<ⰧⰊⰧ

☆★ アメリカ大陸に入植していたオランダ人が、インディアンから60ギルダー分の品物と等価交換で不動産を入手(1626年)。300年以上経つと、其処はマンハッタンと称される世界的な摩天楼と化していた。☆★ 片山哲が、エクストリーム・組閣作業において1人で全ての閣僚を兼任する荒業を繰り出すも、1週間でギブアップ(1947年) 。☆★ 世界最速の超音速旅客機「コンコルド」が大西洋横断の定期運行を開始(1976年)。しかし肝心の太平洋は越えられず、運航計画は停止され退役した。

本日記載附録(ブログ)

「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した

---そのタイタニックに1人の日本人が乗っていた。細野正文さんである---

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ タイタニックは人類への警鐘である 1/2 ◆◇

――ここまで話をうかがって思うのですが、歴史的な大事件で悪役にされたら、その子孫は大変ですね。

 そうですよ。祖父がタイタニックの船上で正しい行動をとったのなら、僕は祖父の生還を誇りに思うでしょう。でも、もし卑劣な行動をとったのが事実だったとしたら、僕はとてもそうは思えないでしょうね。

 それは、祖父の因果を子孫の僕が背負わされるということです。ですから、僕らも子孫に対しては責任があるんだと思います。

――タイタニックが建造された20世紀初めは、欧米で機械文明が花咲いた時代ですね。大衆車の走りであるT型フォードの誕生が1908年。飛行機も1903年のライト兄弟による初飛行以後、急速な進歩を遂げています。

 ある意味、タイタニックは象徴的で、人間の驕りを諭されたような事件ですね。人間は科学技術を優先させることで、傲慢になってしまう。

 当時、不沈客船といわれたタイタニックですが、乗員乗客あわせて2200人も乗せながら、救命ボートはその半分余りの人数分しかなかった。ひどいものです。

 何か、最近起こっていることと似ているな。今の日本、救命艇のない国に住んでいるという感じでしょう。

――それは3.11後に起きた原発事故のことですか。

 図式が同じですよね。

 科学技術に対する盲信、驕りという意味では、原発はダメ押しですね。この先、同じことがあってはならないと思います。

 でも、どうなんでしょう。祖父の孫である僕は今「タイタニックから100年経ったのか」と思うわけですが、最近も豪華客船の座礁事故があったり、船内火災があったり。人間は、過去に大きな過ちがあっても忘れてしまいますからね。

 僕も娘が1人、男の子の孫が1人いますが、タイタニックの因果はぼくの世代で終わって欲しいものです。

・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: タイタニック(客船) =8/11= ……

事故原因

事故原因をめぐっては、石炭火災による隔壁の鋼材強度の大幅低下説、前記のリベットの強度不足をおもな原因とする説、鋼板の脆弱性をおもな原因とする説のほかにもさまざまな説がある。

石炭火災による隔壁強度低下説

1912年の事故調査・査問委員会で石炭火災が取り上げられたが、沈没事故とは無関係とされ、大した火災ではなかったというのが定説だった。

しかし、タイタニックの専門家であるセナン・モロニーによると「タイタニックの出港前の写真で船体側面(第6ボイラーの石炭倉庫のあたり)に約9メートルほどの焦げ跡が確認できる」とされており、実際、タイタニックの石炭庫では、ベルファストの造船所の港を離れる前から自然発火による石炭火災が起きていた。石炭を積んだのは出港する3週間前である。また、当時はイギリス国内の炭鉱でストライキが起こっており、十分な石炭が確保できなかった。

1912年4月10日、サウサンプトン港で乗客を乗せた時点で、火災は消火できておらず、その結果、加熱された部分の鋼材の強度は最大で75パーセント低下し、船体の構造の一部がすでに脆くなっていたことが沈没のおもな原因で、4月14日深夜の氷山との衝突は沈没のトリガーになったに過ぎないと主張し、2010年代後半には注目される有力説となった。

沈没事故の数日後のニューヨークの新聞に掲載された、ジョン・ディリーというボイラーマンが波止場で記者に話したことによると、

火災はベルファストの造船所を離れた日に発見された。 石炭はデッキ3層分の高さの量だった。 ディリーは、11人の作業員とともに消火にあたったが鎮火できなかった(それだけの人数で対応したにもかかわらず、簡単に消火できなかったとすれば、非常に大きな火災だったと考えられる)。 石炭倉庫には、何百トンもの石炭があった。我々は全く無力だった。 出港した日からタイタニックは燃えていた。

という。

石炭火災の専門家によると、

自然発火した石炭は、石炭の中心部の温度が徐々に上昇し、摂氏500 - 1000度になる。 臭いなどで気がついたときには、すでに手遅れである。 石炭倉庫は隔壁と接しているため、船体の強度に影響する。 消火するにはボイラーにくべて燃やすしかなくスピードを落とせない。加えて横断にギリギリの石炭しか確保できなかったため、一度スピードを落とすと燃料切れの危険があった。

ボイラー作業員160人のうち、アメリカまで向かったのはわずか8人だけである。このように作業員が入れ替わったことは前例がない。また、当時英国でタイタニック号事故調査・査問委員会を指揮した委員長のジョン・ビンガム(初代マージー子爵)は、不自然なまでに石炭火災の影響を無視し、却下する審判指揮をしている。

 /・・・・・・明日に続く

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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