ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年05月14日<ⰧⰊⰧ
☆★ 碁石の日。だがサブカル大辞典のウィキペディア5月14日には、フィクションでの出来事には詳しくても碁石の日については触れられていない。碁石が砂浜一面に敷き詰められている海岸を擁する岩手県大船渡市がこの日の存在を知らしめようと躍起なのに。☆★ 4歳のガキがフランスの国王に。分別が解る年頃になるまでローマ教皇から派遣されたお守り役が実務を担うことに (1610年) 。☆★ パレスチナに居座っていたユダヤ人が勝手に国を創ったので、周りのアラブ諸国がタコ殴りするものの逆に返り討ちの目に遭うばかりか土地を余計に奪われる破目に (1948年=イスラエルが建国を宣言) 。
本日記載附録(ブログ)
「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した
---そのタイタニックに1人の日本人が乗っていた。細野正文さんである---
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 戦後まで引き継がれた汚名 1/3 ◆◇
――未曾有の事故から生還したとなれば、拍手で迎えられても良さそうなものですが、正文さんは世間の中傷にさらされます。
明治の末年から大正時代にかけてのことですからね。
タイタニックには、緊急時に救命ボートに乗るのは、婦女子が優先というルールがあったそうです。
そのため、多くの人が犠牲になったのに、なぜおめおめと生き残って帰ってきたか、と思う人も少なくはなかったのではないでしょうか。かなり執拗に攻撃されたようです。
――しかし、正文さんは、それに一切反論しようとはしなかった。
明治生まれの気骨でしょうか。あるいは、多少は生きて帰ったことを恥じる気持ちもあったのかもしれない。
祖父は、その中傷のせいか、生還後に鉄道院の役職を解かれています。忸怩たる思いがあったでしょうね。
――生きて帰ることが、よしとされないとはね。
その時代の風潮をよく知りませんから、何ともいえないのですけれどね。しかし、それは僕にとっては大問題なんですよ。
祖父は当時まだ41歳で、帰ってきてから父が生まれたわけです。もし、生還しなければ、僕は生まれていない。これは宿命ですよ。
僕は自分の力で生きているし、自分の運命は自分のものだと思います。運命は自分で何とかできる。でも、生まれのことはどうしようもない。
――そのご先祖が、歴史的に事件にかかわって、中傷される存在となると。
これは困りますね。「何でお前は生まれてきた」と言われているようなものですから。ロマンチックだ、物語世界の話だといっていられない。居たたまれない気持ちになりますよ。
・・・・・・明日に続く・・・
…… 参考資料: タイタニック(客船) =4/11= ……
回避行動
フリートはただちに鐘を3回鳴らし、ブリッジへの電話をつかんだ。応答したのはジェームズ・ポール・ムーディ六等航海士だった。
フリート「Is anyone there?(訳:誰かそこに居ないのか!)」 ムーディ「Yes, what do you see?(ああ、何が見える?)」 フリート「Iceberg rightahead!(まっすぐ前方に氷山!)」 ムーディ「Thank you. (ありがとう)」ムーディはただちに指揮をとる次席一等航海士のウィリアム・マクマスター・マードックに報告した。マードックは即座に「Hard starboard!(取舵一杯)[5]」と操舵員のロバート・ヒッチェンスに叫び、それからエンジン・テレグラフ(機関伝令器)に走ると、「Full Astern(後進一杯)」の指令を送り、喫水線下の防水扉を閉めるボタンを押した。しかし、この時点で回避するにはあまりにも時間と距離が足りなかった。氷山まではおよそ400 - 450メートルであったが、22.5ノット(およそ秒速11.6メートル)で航行している船が停止するには1,200メートルもの距離を必要とした。結果、船首部分は衝突を避けられたものの、右舷は氷山に接触し、同船は停止した。
このとき、左へ舵を切ると同時に機関後進を掛け、衝突の数秒前に船舶の操縦特性である「キック[6]」を使うため右いっぱいに舵を切った。舵は速力が高い方が効きやすく、「速力を落としたために、ただでさえ効きのよくない舵が余計に効力を発揮しなくなった。速力を落とさずにいれば氷山への衝突は回避できた」とする説もあるが、あくまで結果から見た推論に過ぎない。そもそも、衝突時にはかなりのスピードが出ていたと推測されるうえに、氷山発見から衝突までの時間はせいぜい30秒程度しかなかった(説によっては氷山を前方100 - 200メートルほどまで発見できなかったため10秒しかなかったとも言われる)ため、速度はほとんど変化せず、舵効きにも影響しなかったようである。
なお、回避行動の定説となっている「Full Astern(後進一杯)」の発令は生還したボックスホール四等航海士の証言を根拠としているが、その証言は衝突後にブリッジに到着しマードックとスミス船長の会話の中で発令を聞いたというものである。当時ブリッジ付近および機関室に勤務していた他の生還者もエンジン・テレグラフの操作音がしたことについての証言はあるものの、実際に何が発令されたかについて明言されているものはない。このことから、マードック、ムーディ両航海士や機関長といった当事者が生還しておらず直接の証言がないこともあり、マードック航海士が前述の操舵特性低下について把握していなかったとは考えづらいとして機関室への指示が「Full Astern(後進一杯)」であったかを疑問視する声もある[7]。
映画などでは、防水扉の閉鎖は衝突後であり、缶部員(ボイラー員)はすぐ逃げ出したように描かれているものもあるが、実際に即時放棄されたのは浸水量の多い第六缶室のみであり、缶部・機関部員はその後も船内照明や無線電信への電力供給、汽缶(ボイラー)稼働、排水作業を続けた。ジョセフ・ベル機関長は浸水状況が悪化したあとに職務からの解放を命じたが、機関部員・電気技師の全員をはじめ多くの者が最下甲板に留まり沈没間際まで照明を点灯させ続けた。
/・・・・・・明日に続く
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= タイタニック号の崩壊進む、14年ぶりに撮影 ; https://youtu.be/7u7GJ6zxD9g =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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