ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年05月07日<ⰧⰊⰧ
☆★ 新治県であるチバラギが分割され、茨城県と千葉県による搾取が始まる(1875年)。☆★ とある衆議院議員が大日本帝国の軍隊が増長してると文句を言った(1936年)ところ、前線にいないのに生意気だと恨みを買う。☆★ ソビエト連邦を文字通りぶっ壊した酔っ払い親父の後始末を行うため、スパイ上がりの男がロシアのトップに(2000年)。酔っ払いおやじのお友達は当初与し易しと思っていたが、何時の間にか自分たちが粛清されました。=ウラジーミル・プーチン外伝より=
本日記載附録(ブログ)
タイタニック号はなぜ沈没したのか? 重ねたミス、1500人犠牲に
---見過ごされた警告、救命ボートの不足、いくつものミスが重なって沈没は起きた---
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ タイタニック号はなぜ沈没したのか? 1/2 ◆◇
1912年4月、豪華客船タイタニック号は、英国のサウサンプトン港を離れ、処女航海に出た。
14日、船長のエドワード・J・スミスは、洋上でいつものように船の点検を済ませたが、予定されていた安全訓練は行わなかった。その後、日曜日の礼拝を終えると、航海士と会って、船の位置を確認した。彼らの計算によると、船は平均22ノットで快調に進んでいた。
日が暮れると、気温は氷点下まで下がった。海面はガラスのように輝き、氷山の特定を困難にした。春の北大西洋ではよくあることだ。
それでも船長は、そのまま全速力で船を走らせた。もし何かが見つかっても回避できるだろうと考えていたからだ。
見過ごされた警告
午後7時半までに、タイタニック号は近くを航行していた複数の船から5回にわたって警告を受け取っていた。無線通信士のジャック・フィリップスは、ある船からの「多数の氷山や海氷の存在と位置を知らせる」詳細なメッセージを書き留めている。ところが、彼は乗客の個人的なメッセージを送信するのに忙しく、この警告を航海士に報告しなかったようだ。
午後10時55分、別の貨物船カリフォルニアン号が、「海氷の密集地帯に入って船が完全に停止した」と連絡してきたが、無線は緊急性が高いことを示すコードで始まっていなかったため、これも報告されなかった。
見張り台に立っていた当直のフレデリック・フリートとレジナルド・リーは、目を凝らして前方の暗闇を見つめていた。午後11時40分になる直前、フリートが真正面に海よりもさらに黒い何かがあるのを認めた。船が近づくにつれ、その正体が明らかになった。氷山だった。フリートは警告ベルを3回鳴らし、船橋へ連絡を入れた。
衝突
船橋で報告を受けた一等航海士のウィリアム・マードックは、直ちに船を停止させ、進路を左へ変えるよう命令を出した。さらに、氷山を回避するため「全速後進」を命じてから、船内の防水隔壁のドアを閉めるボタンを押した。
船はギリギリのところで左へ向きを変え、氷山は右舷のすぐ横を通過していった。
一見危機を脱したかに思えたが、目に見えない水面下で船は氷山に接触し、船体に穴が開いた。ほとんどの乗客は衝撃に気付かなかったが、船首にいた人々は、氷の塊が甲板に落ちてきたため、氷山に衝突したことがわかった。
下のボイラー室と郵便室では、船首に最も近い5つの区画に水が入り込み、乗務員たちが不安に駆られていた。タイタニックの運命は明らかだった。水を遮断するはずの隔壁は、船の底からEデッキの高さまでしか届いていなかった。通常の状態であれば十分な高さのはずだが、船首が沈み、船が傾き始めれば、水面は隔壁の上辺を超えてしまって、何の役にも立たなくなる。
前方の5区画に入った水の重みで船が前へ傾き、6番目の区画に水が流入する。それがさらに船を沈ませ、次の7番目の区画にも水が入ってしまう。こうして次々に後方の区画に水が入り込み、タイタニックはあと2時間しかもたないだろうと、乗務員たちは予測した。
・・・・・・・・・明日に続く・・・
…… 参考資料: タイタニック(客船) =1/11= ……
タイタニック(RMS Titanic、ロイヤルメールシップ・タイタニック)は、20世紀初頭に建造されたイギリス船籍のオーシャン・ライナー。
ホワイト・スター・ライン社が保有するオリンピック級客船の2番船であったが、処女航海中の1912年4月14日深夜に氷山に衝突し、その際の損傷による浸水が原因となって翌15日未明に沈没した。
概要
タイタニックは、イギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライルとトーマス・アンドリューズによって設計され、北アイルランドのベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された豪華客船である。
タイタニックの正式名称「RMS Titanic」のRMS(Royal Mail ShipまたはSteamer)は郵便船(英国郵便汽船)を意味する艦船接頭辞であり、船上でステーショナリーの購入、手紙の投函も可能だった。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有する3隻のオリンピック級客船の2番船であり、姉妹船にオリンピックとブリタニックがある。
処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人(ほかに1,490人、1,517人、1,522または1,523人、1,609人などさまざまな説がある)であり、戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故であった[2]。生還者数は710人だった。タイタニックとその事故は、しばしば映画化されるなどして、世界的にその名を知られている。
タイタニックの造船計画は、20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフの会長ウィリアム・ピリー卿が、1907年、ロンドンのメイフェアの夕食会でホワイト・スター・ラインの社長ジョセフ・ブルース・イズメイに大型客船3隻の造船を提案したことに始まる。
設備
ホワイト・スター・ラインは当時白熱していた北大西洋航路における「ブルーリボン賞」と呼ばれるスピード競争にはあまり興味を示さず、ゆとりのある快適な船旅を売りにしており、タイタニックもスピードよりも設備の豪華さに重点を置いて設計されていた。もっとも、特等および一等船室は贅沢な造りではあるものの、船体下層ではレシプロ蒸気機関の振動が響くなど、快適とは言いがたい船室もあった。
煙突は4本あるが、4番目は厨房や蒸気タービンの換気用で、煙が排出されないダミー的なものであった。これは船の美観を重視したためで、実際「4本目の煙突はダミー、伊達であり、乗客が持ち込んだペットを預かるスペースとして使用されていた」という調査・証言もある。
ボイラー室は6つあり、合計29基の石炭ボイラーが設置されていた。その後方には2基の3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関があり、左右の直径7メートルのスクリューを駆動していた。中央の直径5メートルのスクリューは蒸気機関を通過したあとの低圧蒸気でタービンを回して駆動するもので、燃費を改善する目的があった。
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=タイタニック号はこうして沈んだ;https://youtu.be/FSGeskFzE0s=
=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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