☆★ 江戸城に屯していた狸親父が、大坂城に住まわれていた関白を差し置いて江戸幕府を立ち上げる(1603年)。 &so、江戸城の直ぐ外で幕府の実力者がリンチされたことから、日本の治安が相当悪化していることが内外に知れ渡る(1860年)。☆★ アドルフ・ヒトラーが、国会に自分の手下を集めて脅しをかけさせた挙句、ワイマール共和国を自殺させる(1933年)。☆★ エドウィン・O・ライシャワーが、日本人にブッ刺されたばかりかウィルス入り血液を輸血されるテロに遭う(1964年)。輸血された血液から肝炎に感染し、売血が問題化する。
本日記載附録(ブログ)
2012年5月、国際宇宙ステーションに補給物資を届けた宇宙船。開発したのは宇宙ベンチャー企業、SPACE_X社
物資だけでなく、将来的には宇宙飛行士を運ぶ計画もあるという。このSPACE_X社で働いていた日本人エンジニアがいた
【この企画はWebナショジオ_【研究室】_「研究室」に行ってみた】を基調に編纂(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 高橋有希(15) / 第6回 米国宇宙ベンチャー最新レポート モハベ宇宙港編 =2/3=◆◇
そして、2012年12月の時点で宇宙ベンチャー20社が空港内に拠点を持ち活動するようになった。今、米国内で認可されている民間宇宙港は他にも7ヵ所(もう一カ所カリフォルニア、ヴァージニア、オクラホマ、フロリダ(2カ所)、ニューメキシコ、アラスカ)あるのだが、モハベはもっとも賑やかな宇宙港だという。
モハベ宇宙港の古参のひとつXCOR社が取材を歓迎してくれた。
この会社は、宇宙観光を第一の目的にした宇宙船リンクスを開発しており、きわめて近い将来、運用開始しようとしている。本格運用前の試験飛行がいつになるか、2013年の中頃でもおかしくない開発状況だという(しかし、航空宇宙系の開発は常に遅れるものだ。時期についての情報は参考程度に)。
リンクスの見た目は、「スペースシャトル」みたいと感じる人が多いようだ。翼がしっかりとあるし、そのような感覚は分かる。ただ、リンクスはより小さく、飛行機のように水平に離着陸するので、違ったコンセプトだ。また、パイロット1人、観客1人のミニマム構成で、シャトルに比べたら巨象と蟻というのは大げさだが、大型トレーラーと軽自動車程度の差はある。
また、リンクスはいわゆるサブオービタル機と言って、100キロメートル超の「宇宙」まで飛び出すものの、地球を周回せずにそのまま戻ってくる。スペースシャトルのように低軌道を周回するところまではいけない。エンジンも機体も完全に再使用可能な設計で、2時間ごとに1日4回までのフライトに対応できる。1度のフライトが終わると2時間で次フライトが可能ということで実現すれば、恐ろしく早いサイクルで「行って来い」できる宇宙機だということになる。
そして、2012年12月の時点で宇宙ベンチャー20社が空港内に拠点を持ち活動するようになった。今、米国内で認可されている民間宇宙港は他にも7ヵ所(もう一カ所カリフォルニア、ヴァージニア、オクラホマ、フロリダ(2カ所)、ニューメキシコ、アラスカ)あるのだが、モハベはもっとも賑やかな宇宙港だという。
モハベ宇宙港の古参のひとつXCOR社が取材を歓迎してくれた。
この会社は、宇宙観光を第一の目的にした宇宙船リンクスを開発しており、きわめて近い将来、運用開始しようとしている。本格運用前の試験飛行がいつになるか、2013年の中頃でもおかしくない開発状況だという(しかし、航空宇宙系の開発は常に遅れるものだ。時期についての情報は参考程度に)。
リンクスの見た目は、「スペースシャトル」みたいと感じる人が多いようだ。翼がしっかりとあるし、そのような感覚は分かる。ただ、リンクスはより小さく、飛行機のように水平に離着陸するので、違ったコンセプトだ。また、パイロット1人、観客1人のミニマム構成で、シャトルに比べたら巨象と蟻というのは大げさだが、大型トレーラーと軽自動車程度の差はある。
また、リンクスはいわゆるサブオービタル機と言って、100キロメートル超の「宇宙」まで飛び出すものの、地球を周回せずにそのまま戻ってくる。スペースシャトルのように低軌道を周回するところまではいけない。エンジンも機体も完全に再使用可能な設計で、2時間ごとに1日4回までのフライトに対応できる。1度のフライトが終わると2時間で次フライトが可能ということで実現すれば、恐ろしく早いサイクルで「行って来い」できる宇宙機だということになる。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: NASA =スペースシャトルの時代= □■
1970年代から80年代におけるNASAの最大の眼目は、スペースシャトルであった。シャトルは1985年までに再使用可能な4機の機体が製造され、その初号機であるコロンビア号は1981年4月12日に初めて打ち上げられた。
シャトルのニュースは、NASAにとって必ずしも明るいものばかりではなかった。打ち上げにかかるコストは当初に予想していたものよりもはるかに高くつき、発射が日常化されるにつれ国民は宇宙開発に対する関心を失っていった。そんな中で1986年に起こったチャレンジャー号爆発事故は、宇宙飛行にともなう危険性を再認識させることとなった。
そんな中で、後に国際宇宙ステーション (International Space Station, ISS) へと発展するフリーダム宇宙ステーション計画が、有人宇宙飛行の焦点として開始されたが、このような計画はボイジャー計画のような無人惑星探査に比べ、費用がかかりすぎるのではないかという議論がNASA内部にさえもあった。
その一方で、シャトルはハッブル宇宙望遠鏡 (Hubble Space Telescope, HST) のような画期的な計画も成功させた。HSTはNASAとヨーロッパ宇宙機関 (European Space Agency, ESA) の共同開発によって行われたもので、この成功によって他国の宇宙機関との協力という新たな道が開かれた。HSTに費やした予算は20億ドル以下で、1990年に稼働して以来、数多くの鮮明な天体写真を送り続けている。その中でも、草分けとなった「ハッブル・ディープ・フィールド (Hubble Deep Field)」は特に有名である。
1995年、シャトル・ミール・プログラムによってロシアとの共同計画も再開された。ミールとシャトルがドッキングすれば、これはもはや完全な宇宙ステーションであると言えた。このアメリカとロシアという宇宙開発における二大巨頭の協力関係は、ISS(国際宇宙ステーション)の建設作業において21世紀まで継続されている。2003年、コロンビア号空中分解事故によりシャトルの飛行が2年間中断された間、NASAはISSの保守作業をロシアの宇宙船に頼ったことから見ても、両者の信頼関係の強さは明白である。
90年代を通して、NASAは議会の財政削減にともなう予算の縮小に直面してきた。第9代長官で、「より早く、より良く、より安く」の標語の生みの親であるダニエル・ゴールディン (Daniel Goldin) は、進行中の多彩な惑星探査計画(ディスカバリー計画)は、経費を削減することで継続が可能であると提案した。1999年にマーズ・クライメイト・オービター (Mars Climate Orbiter) とマーズ・ポーラー・ランダー (Mars Polar Lander) の2機が失敗したのはこの経費削減が原因であると批判を浴びたが、一方でスペース・シャトルは2006年12月までに116回の飛行に成功していた。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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