☆★ 今や読者層に於いて少年より青年や中年が多数派だったりする『少年マガジン』『少年サンデー』が創刊する(1959年)。☆★ アサヒビールが麦芽をケチった辛口のビールを売り始め、日本のビールの流れを変え始める(1987年)。☆★ 巨人真理教が、長らく使われていた神殿に代わり全天候型の新しい神殿を完成(1988年)。更なる全国民への洗脳布教を図るも、この頃からその教勢に翳りが出てくる。理由は簡単明白、教主・監督の体質。
本日記載附録(ブログ)
2012年5月、国際宇宙ステーションに補給物資を届けた宇宙船。開発したのは宇宙ベンチャー企業、SPACE_X社
物資だけでなく、将来的には宇宙飛行士を運ぶ計画もあるという。このSPACE_X社で働いていた日本人エンジニアがいた
【この企画はWebナショジオ_【研究室】_「研究室」に行ってみた】を基調に編纂(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 高橋有希(12) / 第5回 ふたたび開かれた宇宙への扉 =2/3=◆◇
高橋さんは入社以後1年以上かけて練り上げた「国際宇宙ステーションとドッキングできる」仕様のドラゴン宇宙船の打ち上げを、ガラスで仕切られたミッションコントロールの外側で見守った。
「すごくワクワクしてましたね。宇宙ステーションのミッションはドラゴン宇宙船が地球に戻ってくるまで2週間くらいだったんですけど、ほとんど寝なかったですね(笑)。何も見逃したくなかったので、寝てるときでさえもずっとヘッドセットで通信を聞きながら、何が起こってるかちゃんとモニターしてましたよ」
なんだか南極点にいる時と同じように、ぎゅっと圧縮された時間を過ごしたようである。打ち上げの際の社員の熱狂ぶりは、スペースX社の公式サイトに動画としてアップされているから見てもらえると雰囲気が分かるだろう。高橋さんもその中にいた。
もっとも、打ち上げだけではなく、ドッキングの時にもハラハラさせられたという。
思い切り日常的な現象で言うと、冬、乾燥した日にドアノブを触った瞬間、バチッと電気を感じる、あの類の現象がもっと極端な形で起きるからなのだそうだ。
「宇宙ステーションとドラゴン宇宙船との間では電圧が違うんですよ。宇宙に出て帯電した粒子を浴びていると、機体の大きさとかソーラーパネルの大きさによって帯電する量が違ってくるので。だからドッキングするときにほんの一瞬ですが、何百アンペアっていう大電流が流れるかもしれないんです。それでドラゴンのエレクトロニクスとか、何か破壊されないかすごく心配だったんです。もちろん、対策はやってたんですよ。でも実際にドッキングして、大丈夫だったときは、すごくほっとしました(笑)」
さて、このような宇宙船三昧の日々を送った高橋さんは、「ニュースペース」「民間商業宇宙」と、NASAが直接取り仕切るような従来型の宇宙開発との違いをどう捉えているだろう。もちろん高橋さんにはNASAでの勤務経験はないわけだが、それでもやはり聞いてみたい。
「スペースXだと、実際に宇宙に行くドラゴンの部品なども、エンジニアが実物を自分の手で日常的に扱って実験してるんですね。NASAとか組織が大きくなると、実際に宇宙に行く物を使って毎日のように作業するのは結構難しいんじゃないでしょうかね」
そして、高橋さん自身思い出し笑いをしつつ、とっておきの(?)話を聞かせてくれた。
「例えばの話だと思って聞いてください。地上と通信する無線機があったんですね。で、それは外からの電波、例えばスペースステーションからの電波による影響が大きくて問題がありました。でも、もうその無線機はドラゴン宇宙船に積んであって、それ自体を変えることはできない。だから僕たちはシールディング(遮蔽)を増すために、アルミホイルみたいな金属の箔を折り紙のように折って、ドラゴンの中に入って無線機の部品を包んだんです。それも打ち上げの結構間際に。もちろん、そうする前に実験室で本当に効果があるか、しっかりテストしたんですけどね」
なんだか聞いていると楽しくなってくる。
もちろんこれを聞いて「いい加減」と感じる人もいるかもしれないのだが、ぼくは「自分の頭と手の先にある健全な技術開発」のように思うのだ。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: ドラゴン宇宙船 (1/3) □■
ドラゴンのドッキング目標システムはドラゴンアイ (DragonEye) と呼ばれる。これは2009年のスペースシャトルエンデバーによるSTS-127ミッションにおいてドッキングポートの近くに設置され、シャトルがISSに接近する際に試験が行われた。この際にはドラゴンアイのLIDARとサーモグラフィーの2つの装置の能力確認に成功した。ドラゴンアイは、2011年2月のSTS-133でも再び試験が行われた。
ドラゴンの有人飛行ミッションの準備のため、スペースX社は2009年夏に、元宇宙飛行士のケネス・バウアーソックスを雇用した。彼は新しく創設された宇宙飛行士の安全およびミッション保障部門の部長 (vice president) として勤務した。
2010年11月22日、NASAの発表によれば、連邦航空局 (FAA) はドラゴンに対し、商業用の宇宙船としては初めてとなる大気圏再突入の免許を交付した。
2010年12月8日、無人の状態でドラゴンを地球周回軌道に投入する飛行試験が行われ、ドラゴンは地球を2周して無事に帰還した。これは民間の開発した宇宙船としては初の快挙となった。しかし、2010年にイーロン・マスクCEOは、有人型ドラゴンの計画は現在進行中であり、完了するにはまだ2~3年はかかると何度も発言している。
2012年5月22日、2度目の飛行試験が行われ、ランデブー試験の後、飛行4日目の25日についにISSとのドッキングを達成した。こちらも民間の開発した宇宙船としては初の快挙となった。
2012年10月8日、国際宇宙ステーション (ISS) への初の補給フライトが実施され、10月10日にISSとのドッキングに無事成功した。輸送物資を搭載してISSに接近したドラゴンは、ISSに滞在中の星出彰彦宇宙飛行士がロボットアーム操作を行い回収した。これまでISSへの補給ミッションにおいて成功実績を持つのは、アメリカ、ロシア、日本、欧州の各宇宙開発機構だけであった。これにより、民間企業が実際にISSに物資補給を行った初の事例となった。
NASAとの協力関係 / 商業貨物輸送機の契約
従来、ドラゴンはスペースX社によって商業軌道輸送サービス (COTS) 計画へ提出された提案の一部だった。この提案は、2006年3月3日、NASAに対し、ISSへ貨物と乗員を輸送する目的で行われた。COTS計画に提案を行ったスペースX社のチームは、ISSのカナダアーム2を製造したカナダのMDロボティックス社を含む複数の企業から構成されていた。
2006年8月18日、NASAは、スペースX社がキスラー・エアロスペース社と共にISSへの貨物打ち上げサービスの開発企業として選ばれた事を発表した。当初の計画ではスペースX社のドラゴンカプセルは2008年から2010年の間に3回の実証飛行を行う事になっていた。スペースX社はNASAが設定したマイルストーンを全て完了した場合、総額2億7800万ドルをNASAから受け取る予定だった。キスラー社はNASAに対する義務を果たす事に失敗し、契約は2007年に打ち切られた。NASAは競争入札の終了後に、キスラー社に割り当てられていた予算を使って別企業と再度契約する事を決めた。2008年2月19日、NASAは新しい勝者としてオービタル・サイエンシズを選んだと発表した。
NASAは2008年12月23日にスペースX社と貨物輸送契約に調印した。これは最低20,000Kgの貨物を12回の打ち上げでISSへ輸送する、という総額16億ドルの契約であり、オプションとして最大31億ドルにまで増える可能性がある。 ・・・・・・明日に続く
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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