☆★ イギリスの映画なのに何故か日本ではこの日がサイコの日。サイコーですか~!?☆★ 最初の普通選挙でオラガ大将の党がライバルに1議席差にまで迫られ、加えてカマトンカチまでもが議席を獲得したのに恐れを為してコミンテルンの日本支部を徹底的に駆除(1928年=三・一五事件)。☆★ 東の国から西の国から世界中からの来客が大阪府は千里丘陵でこんにちわし始める(1970年)。&so、カスラックによるカラオケにかこつけた搾取行為に、お上のお墨付きが出る(1988年)。
本日記載附録(ブログ)
2012年5月、国際宇宙ステーションに補給物資を届けた宇宙船。開発したのは宇宙ベンチャー企業、SPACE_X社
物資だけでなく、将来的には宇宙飛行士を運ぶ計画もあるという。このSPACE_X社で働いていた日本人エンジニアがいた
【この企画はWebナショジオ_【研究室】_「研究室」に行ってみた】を基調に編纂(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 高橋有希(11) / 第5回 ふたたび開かれた宇宙への扉 =1/3=◆◇
高橋さんが民間宇宙企業のトップランナー、スペースX社にエンジニアとして入社したのは2011年2月。
実は2010年12月に、デモフライトとして、ドラゴン宇宙船が民間宇宙船としてはじめて、周回軌道を飛ぶのに成功している(前に紹介した、スペースシップワンは地球を周回しない、いわゆるサブオービタル機だ)。この時は宇宙ステーションとドッキングせずに地球に戻ってきた。一方、高橋さんは必死に博士号論文を書いているところだった。
入社以降、2012年5月に行われたデモフライト2+で、国際宇宙ステーションとのドッキングを行うための作業に没頭することになった。高橋さんが配属されたのは、avionics、航空電子工学部門とでもいうべき部署だ。どんな作業をしていたのだろうか。
「──宇宙ステーションとドッキングするのは、意外に難関なんですね。たとえば、電波。あんまり強い電波を放つと、宇宙ステーションの運営に影響を及ぼす。もしかしたら船外活動してる宇宙飛行士にも危険なこともある。また、宇宙ステーション自体も、地球と交信するためにすごく強い電波を放っていて、ドラゴン宇宙船にも影響があるんです。それに耐えられるように、エレクトロニクスをデザインしたり」
「──あと、フロリダから打ち上げるので、雷が多いんですね。雷から宇宙船を守る。いったん宇宙に飛び出すと、太陽などから陽子とか電子とか、すごい高エネルギーの宇宙線が飛び交ってますね。それはドラゴン宇宙船の電子回路を破壊したりする。それからも守るとか、色々な課題がありました」
例えば、太陽からの宇宙線で電子回路が異常をきたす現象については、以前、「宇宙天気予報」の話題で本稿にて取り上げたことがある。ドラゴン宇宙船でもまさにそういうことが問題になっていたわけだ。
「僕たちはそういう電子回路に陽子とか電子のビームをぶつけて実際に壊れないかどうか実験していました。10年分くらいの宇宙線を当てて、壊れやすいようだったら、他の部品を探したり。シールドをしっかりすればいいんですが、宇宙船って軽いほうがいいので、できるだけシールドは軽くしたい。でも、ある程度ないと、やっぱり壊れちゃう」
高橋さんの部署以外にも、ロケット自体を作る部署、打ち上げの準備をする部署、宇宙空間での熱関係のことをケアするサーマルと呼ばれる部署など様々なチームがあり、「1つ屋根の下」でドラゴン宇宙船のミッション成功のために日々、努力していたそうだ。
実はぼく自身、高橋さんに会った後で、ロスアンジェルスの空港から数キロの距離にあるスペースX社を訪ね、少しだけ見学させてもらった。ボーイング社が使っていた航空機工場の建物をそのまま使った巨大な空間にまず圧倒された。ロケットエンジンや機体、宇宙船まで一貫して同じ建物の中でつくり、さらには会社の事務系の職場も同じ場所、というオールインワンぶりで、一体感と熱気のある会社だった。なにしろ、宇宙船の管制に使うミッションコントロールまで社員用カフェテリアの隣にある! 天井からははじめて宇宙に行ったドラゴン宇宙船がぶらさがり、わずか数10メートル先には、次回か次々回の打ち上げに使うエンジンがごろりと置いてあるという状態。これはNASAが各企業に細かく発注を分け、最後に統合するスタイルでは絶対にあり得ない宇宙ロケット・宇宙船の現場だった。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: ドラゴン宇宙船 (1/3) □■
ドラゴン(Dragon)は、アメリカの民間宇宙企業スペースX社により開発された無人宇宙船である。アメリカ航空宇宙局 (NASA) との商業軌道輸送サービス (COTS) の契約により開発され、国際宇宙ステーション (ISS) への物資補給に用いられた。同じくスペースX社が開発したファルコン9ロケットにより打ち上げられた。2010年12月に初の試験飛行を行い、軌道を2周したのち帰還し、商業的に開発され運用された民間宇宙機としては史上初となる回収に成功した。2012年5月には、同様に民間機としては史上初となるISSへのドッキングにも成功している。2020年4月に最後のミッションを終え、後継機となるドラゴン2にその役目を引き継いだ。
ドラゴンの名前は、ピーター・ポール&マリーの楽曲"Puff The Magic Dragon"(日本では「パフ」のタイトルで童謡として知られており、同曲を元にした絵本「魔法のドラゴン パフ」も出版されている)に由来している。イーロン・マスクが2002年にスペースX社を設立した際、多くの批評家はこの宇宙船の構想を実現不能なアイディアだと考えていた。そこでイーロンは、このフィクションに出てくるドラゴンを宇宙船の名前に付けたと語っている。
開発
2009年、スペースX社の最高経営責任者イーロン・マスク氏は、スペースシャトルの最後の飛行スケジュールの前、2009年にドラゴン宇宙機の最初の飛行を行い、2010年にドラゴンのサービスを始めると述べた。ファルコン9の2段目の試験の完了に続き、2010年1月の終わりには、全てのコンポーネントがケープカナベラル基地にあるスペースX社のハンガーに運び込まれた。2010年3月11日、1段目に搭載されるマーリンエンジンの発射台における試験は、点火2秒前に点火システムに問題が発生し、試験を中止した。2日後の3月13日に再度試験を行い、1段目の9基のエンジンすべてが3.5秒間燃焼し、完璧に成功した。
2009年2月23日、スペースX社は、ドラゴン宇宙船の大気圏再突入のための素材の試験に成功したと発表した。この素材は、耐熱シールド材にPICA-X(フェノール樹脂を含侵させた炭素繊維からなる耐熱材)を選んだものであった。PICA-Xは、NASAが開発したPICA (phenolic impregnated carbon ablator) を改良したもので、NASAのPICAと比べても10分の1のコストで製造できる。
当初、ドラゴン宇宙機の最初の打上げは、ファルコン9ロケットの2回目の飛行で行われる計画であった。しかし2009年の9月、ドラゴン宇宙機の簡易モデルをファルコン9の最初の打上げで飛行させるという発表がなされた。このドラゴンの簡易モデルはドラゴン宇宙船の認定モデルと呼ばれ、カプセルの幾つかのシステムを検証するための地上試験用の模型として使用されていたものである。この最初の飛行では上昇中の空気力学データを取得し伝送することを主目的とした。 内部が与圧された宇宙機としてのドラゴン宇宙船の初飛行は、2010年12月8日にファルコン9ロケットの2回目の打上げ時に行われた。 ・・・・・・明日に続く
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◆ Crew Demo-1 | Launch ◆
動画のURL: https://youtu.be/2ZL0tbOZYhE
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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