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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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果てなき宇宙への夢は_学究達=300/高橋有希(09/mn)

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  ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年03月10日<ⰧⰊⰧ

☆★ 大日本帝国陸軍の記念日をお祝いして、美軍機が帝都・下町の紙と木と土で出来た軍需工場群を綺麗に消毒してくれた(1945年=東京大空襲)。☆★ “恥ずかしながら”とルバング島に残留していた陸軍少尉の小野田寛郎が救出される(1974年)。ああああああああ!大日本帝国陸軍/中野学校の教育は・・・・・・・。☆★ 1985年の阪神タイガース日本一の際に道頓堀川に投げ込まれ、その後もタイガーズを呪縛し続けていたカーネル・サンダース像が、24年の時を経て引き揚げられる(2009年)。

本日記載附録(ブログ)

2012年5月、国際宇宙ステーションに補給物資を届けた宇宙船。開発したのは宇宙ベンチャー企業、SPACE_X社

物資だけでなく、将来的には宇宙飛行士を運ぶ計画もあるという。このSPACE_X社で働いていた日本人エンジニアがいた

【この企画はWebナショジオ_【研究室】_「研究室」に行ってみた】を基調に編纂(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ 高橋有希(09) /  第4回 民間の宇宙船で宇宙に行きたい =1/2=◆◇

 高橋有希さんが、まだ博士課程の学生だった2008年に書いた、「南極と月の類似性──月探査計画策定のための南極経験」(ANALOGS BETWEEN ANTARCTICA AND THE MOON: A SOUTH POLE EXPERIENCE FOR PLANNING LUNAR MISSIONS)という論考がある。「国際宇宙飛行協会」という民間団体の年次総会の紀要に発表されたものだ。

 そこで高橋さんは、まず「南極はさしわたし4000キロメートル、月の直径は3500キロメートル。スケールとして似ている」というところから説き起こす。1910年代の南極探検から始まり、1950年代に各国基地ができるまでの歴史を、月の探査(1960-70年代)以降から再び「月に戻る」今後の宇宙計画と重ね合わせて述べたり、南極と月の環境の類似性(もちろん月の方がずっと過酷なのだが、低温や隔絶されていること、インフラの欠如、物資輸送の困難などに共通点がある)を挙げ、南極経験を月探査へのシミュレーションと見なしている。

 やはりこの人の中では、幼い頃の天文学、天体物理(宇宙の起源)への興味、そして、「宇宙飛行士になりたい!」「月に望遠鏡を作りたい!」という欲望が、常に表裏一体、渾然一体となっているようなのだ。

 博士号論文を書き、厳しい口頭試問もくぐり抜け、はれてPh.Dを取得する中で、高橋さんは、就職をどうするか同時進行で考えなければならなかった。

「僕の博士号論文は、BICEP望遠鏡の開発とかデザインとか、観測の補正とかについてまとめたものだったんです。その間、宇宙論の研究をしているより、望遠鏡の部品を作る手作業ですとかエンジニアリングの仕事をしている時間が長くて、それがだんだん好きになってきたんですよ。ものを作るのって、何かすごくアクティブで楽しいなって。だから、それにフォーカスしたいと思い始めたんですね」

 本当に高橋さんは、綿密に考えているのか、それとも、偶然なのか、「宇宙飛行士」に向けて、必要な何かを常に選び取っているような気がする。「手作業」ができるというのは、隔絶された環境に置かれる人たちにとって必須のスキルで、それが高いに越したことはないのだ。

「もちろん、Ph.Dに取り組んでいる間も、宇宙飛行にはすごく興味があったんです。で、その間にだんだん、民間の宇宙開発が盛んになってきました。スペースシップワンの打ち上げも、モハベに行って見てきたんですよ」

 キーワードがふたつでてきた。

 スペースシップワンとモハベ。前者は宇宙船の名前で、後者はその母港、つまり宇宙港がある場所だ。

 スペースシップワンは、知る人ぞ知る、著名な民間宇宙船である。2004年9月29日、10月4日に、到達高度100キロメートル超の有人飛行に続けて成功した。100キロというのは、一応宇宙と呼べる目安の高度と言われている。また、この成功で、民間宇宙船開発への賞金制度「アンサリXプライズ(ANSARI X PRIZE)」を受賞し、賞金1000万ドルを獲得した。

・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: スペースシップワン (SpaceShipOne) □■

スペースシップワン (SpaceShipOne) は、スケールド・コンポジッツ社のTier Oneプログラムの一部として開発された有人宇宙船である。2004年6月に高度約100 kmの宇宙空間に向けた弾道飛行を成功させ、世界で初めての民間企業による有人宇宙飛行を実現した。

スペースシップワンは、2004年6月21日に高度約100 km(カーマン・ライン)の宇宙空間に向けた弾道飛行を成功させ、世界で初めての民間企業による有人宇宙飛行を実現した。

さらに、2004年9月29日、10月4日には、民間宇宙船開発に対する賞金制度「Ansari X Prize」の受賞条件を最も早く達成し、賞金1000万ドルを同社は獲得した。なお、受賞条件は以下の通り。

◎宇宙空間(高度100 km以上)に到達する / ◎乗員3名(操縦者1名と乗員2名分のバラスト)相当を打ち上げる / ◎2週間以内に同一機体を再使用し、宇宙空間に再度到達する

それまでの宇宙開発は、すべて国家戦略の一環であり、国家予算を使って行われていたものである。事実、世界初の人工衛星初の有人宇宙飛行初の有人月着陸スペースシャトル国際宇宙ステーションなど、いずれも国家の強力な主導のもとで行われ、費用は国家予算から賄われた。しかしながら、航空宇宙史を振り返ると、オットー・リリエンタールによるハンググライダーの研究、ライト兄弟による初の動力飛行や、リンドバーグの大西洋無着陸横断などの大記録は、企業または個人の資金のみで達成されたものであった。スペースシップワンが達成した成果は、これらに匹敵する成功として評価されている。史上初の民間による有人宇宙飛行の栄光をたたえて、2006年に打ち上げられたNASAの惑星探査機ニュー・ホライズンズには、スペースシップワンの機体の一部が搭載されて宇宙へと旅立っていった。

ヴァージングループに設立された宇宙旅行会社ヴァージン・ギャラクティックはスペースシップワンの成功を受け、改良型の宇宙船スペースシップツーを建造し、史上初の宇宙旅行ビジネスを開始することを発表した。2007年からの商業サービス開始を目指し、世界各国の人々から多くの投資を集めていたが、2014年現在も実現は難航している。

初めて高度100kmを達成した2004年6月21日の飛行15P(飛行番号)は次のように行われた。

◎カリフォルニア州モハーヴェ砂漠にある飛行場から離陸。運搬用航空機「ホワイトナイト」により吊り下げられた状態のまま、高度約15キロまで上昇後、切り離された。その後はロケットエンジンに点火し音速の3倍まで加速。ロケットの燃焼終了後は慣性で放物線を描くように弾道飛行し、ついに高度100kmへの到達を果たした。3分間余りの無重量状態での宇宙飛行を経て、大気圏に再突入。高度15キロまで降下した後は滑空により元の飛行場へ着陸した。更に16P・17Pにて2週間以内の再飛行を達成、X PRIZE受賞条件をクリアした。

このスペースシップワンの実機は、2005年よりアメリカ合衆国ワシントンD.C.国立航空宇宙博物館で展示されている。

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◆ スペースX(SpaceX)を10分で完全理解 ◆

動画のURL:  https://youtu.be/kFpVJlGssAQ  

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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