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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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果てなき宇宙への夢は_学究達=293/高橋有希(02/mn)

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  ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年02月22日<ⰧⰊⰧ

☆★ ニャンニャンニャンで猫の日。ただし、万国共通の「世界猫の日」は8月8日である。 余談だが、閏年だと、2月22日と8月8日が同じ曜日になる。☆★ 同時に、ニンニンニンで忍者の日。そして忍者の日だからか、手裏剣戦隊ニンニンジャーがこの日放送開始(2015年)。☆★ マイクロソフトが対任天堂殲滅作戦汎用兵器・Xboxを発表(2002年)。 スコットランドのロスリン研究所が、世界初の哺乳類の体細胞クローンである雌羊「ドリー」の誕生を発表したのは1997年。

本日記載附録(ブログ)

2012年5月、国際宇宙ステーションに補給物資を届けた宇宙船。開発したのは宇宙ベンチャー企業、SPACE_X社

物資だけでなく、将来的には宇宙飛行士を運ぶ計画もあるという。このSPACE_X社で働いていた日本人エンジニアがいた

【この企画はWebナショジオ_【研究室】_「研究室」に行ってみた】を基調に編纂(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ 高橋有希(02) /  第01回 世界初の民間商用宇宙船開発に携った日本人 =2/2= ◆◇

因みに、高橋さんの博士課程での研究生活で・・・・・・

南極点に天体物理研究のための望遠鏡を設置し、4季、総計10カ月にわたる南極点滞在経験(アムンゼン・スコット基地)。 民間宇宙企業スペースX社にエンジニアとして就職し、ドラゴン宇宙船による初の国際宇宙ステーション補給ミッションに参加、その後、新たな宇宙ベンチャーに加わる。

 といっただけで、「おおっ」と思いませんか。

 だから、今回のお話は「3階建て」である。高橋さんが、自身の研究で南極に望遠鏡を設置する話と、そこから宇宙ベンチャーに至るまで。これら2つは別の話題に見えつつもしれないが、実は密接につながっているとすぐに分かる。さらには、高橋さんの体験を入り口にして、今、米国で花開いているように見える民間宇宙企業、それもベンチャーと呼ぶに相応しい夢のある業種について紹介したい。

 さて、現在、高橋有希さんが住んでいるのは、母校カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)にもほど近いサンフランシスコだ。博士課程時代を過ごした物理学教室をインタビュー用に使わせてもらえることになった。

 BART(電車)の駅に迎えに来てくれた高橋さんにぼくが抱いた第一印象は「鉄腕アトム!」だった。髪の毛がくるりとした様子や、宇宙のことになると好奇心がどんどん前のめりになって進む会話は、まさに鉄腕アトムの英名「アトスロボーイ」にも符合した。

 バークレーのキャンパスはアメリカの大学としては小振りな印象だ。モニュメントとして有名な時計台の奥にある物理学棟、博士号論文の口頭試問を受けたという思い出の教室にて、お話を伺った。

 高橋さんはいきなり「子どもの頃から宇宙に興味があって、宇宙飛行士になりたかったんです。月に行きたいんですよね」と述べた。まずは、南極点の望遠鏡の話を伺おうと思った矢先だった。

「9歳ぐらいの時から天文学に興味がありました。親が図書館に連れていってくれて、天文学の百科事典をたまたま見つけました。惑星とか銀河とかの写真を見て、いろいろなのがあるんだなあと思ってわくわくして。少し後に出た『ホーキング、宇宙を語る』という本も読んだりしましたね。12歳から14歳まで、家族全員で2年間アメリカにいたんですが、その時にNASAのニュースをみたり、スペースキャンプ(休暇中に生徒が参加するプログラム)で、宇宙開発について知ったんですね。で、僕自身も宇宙に行きたいな、宇宙飛行士になりたいと。そのためにはアメリカでの教育のほうが自分のためになるんじゃないかなと感じました」

 いったん高橋さんは日本に戻り高校生になるのだが、1年生の9月にはアメリカの高校に入り直し、そのままアメリカ在住で今日に至る。

 宇宙飛行士になりたい! そのためにはアメリカで教育を受けた方がいい! というのは、この時点では直観レベルの決断だったように聞こえた。しかし、それが、ドンピシャとはまり、さすがにまだ、宇宙飛行士にはなっていないものの、様々な意味で宇宙に関わるキャリアを重ねることができた。研究者としても社会人としても宇宙へのロケットスタートを切ったアストロボーイという印象なのである。

次回は“第2回 「月の南極」から「地球の南極」へ”に続く・・・

■□参考資料: 国際宇宙ステーション(2/2) □■

計画推移

国際宇宙ステーション計画が最初に持ち上がったのは、1980年代初期の米大統領レーガンによる冷戦期における西側諸国の宇宙ステーション「フリーダム計画」である。この計画は、西側の結束力をアピールしてソビエト連邦に対抗する政治的な意図が非常に強いものであった。搭乗人数は出資比率によって定められたが、米国、欧州、カナダ、日本の飛行士がそれぞれ、必ず年間を通して滞在できることになっていた。

しかし、米国や欧州の財政難、スペースシャトルチャレンジャー」の爆発事故、続く冷戦終結による政治的アピールの必要性低下によって計画は遅々として進まなかった。計画は「アルファ」に変更、ステーションの規模も大幅に縮小され、米国を含めて搭乗人数を削減し、各国の滞在期間も短縮した。

一方、ソ連は「サリュート」に続く宇宙ステーション「ミール」による宇宙滞在を実現していたが、1991年末のソビエト連邦の崩壊による混乱と財政難で、ミールは宇宙空間で劣化した。米国はロシアを取り込む目的もあって、アルファとミール(ミール2)を統合する計画を持ちかけたが、ロシアは新しいモジュール「ザーリャ」他を打ち上げる意欲を示した為、完全な新型宇宙ステーションとしてISS計画が開始された。しかし、ISS計画ではロシアの発言力が非常に大きくなり、常時ロシア人飛行士が滞在することとなった為、日欧加飛行士の滞在期間や搭乗人数は増加しなかった。

1998年にロシアが製造したザーリャモジュールが打ち上げられてISSの建設が開始されたが、2003年にスペースシャトル「コロンビア」の空中分解によって建設は一時中断し、その後の調整で建設規模が縮小、米露はともかく、日欧加の飛行士がどれだけ滞在できるかは未知数となった。

宇宙飛行士の滞在

ISSに滞在するクルーは当初は3人、コロンビア号事故後しばらくは2人であったが、2009年5月29日からは6人に増加された。

ISSに滞在する正式クルーは政府間協定締結国に限られている(滞在権について各国・機関毎に枠がある)が、参加国・機関が別途民間人と商業契約を結び、自国枠を提供しISSに滞在させる宇宙飛行関係者という区分があり、これまでロシアのみが商業契約を結び、民間人を滞在させている。

建設

ISSの建設は組立部品及び作業のため、50回以上の打ち上げが要求された。それらの打ち上げの39回はスペースシャトルによる打ち上げである。比較的小型な部品はプログレス補給船といった無人宇宙補給機によって運ばれる。組立が完了した時点のISSは、体積1,200立方メートル、重量419トン、最大発生電力110キロワット、トラス(横方向)の長さ108.4メートル、進行方向の長さ74メートル、最大滞在人数は6名となった。

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◆ 若田宇宙飛行士のISSツアー 中編 ◆

動画のURL: https://youtu.be/Tok2Ejics5M  

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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