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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 11月07日(木曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

☆ 民意の偽造に怒ったロシア人民が民主主義の政府を倒し、ウラジーミル・レーニンの政府を支持する(1917年)。 ☆ 4ヶ月前に出来たばかりの吊り橋が完成直後から風に揺られまくりで、実況されるまでになって遂にこの日落っこちる(1940年=ワシントン州のタコマナローズ橋)。 ☆ 松永安左エ門の肝煎りで、日本を電力会社の意のままにしようとする工作機関・電力中央研究所がオープン(1951年=日本最大の民間シンクタンク)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 21回= ◎ ◎

1956- «人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見 (2/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年11月7日 / (Web編集部) ……

 人類の進化というテーマは、進化という考え方の登場と同時に大きな注目を集めました。当たり前ですが。

 進化論の前は、サルはサルでヒトはヒト。それが、サルとヒトが昔は同じだったことに突然なったわけで、じゃあいつ分かれたの? という疑問はおのずと生じます。と同時に、「我こそは一番乗り!」を目指して「最初のヒト」の化石を捜し求める化石ハンターたちが続々とあらわれました。

 進化論といえばダーウィンです。著書『人間の進化と性淘汰』のなかで、ダーウィンはヒトの祖先はアフリカ大陸にいた、と書いています。彼がそう考えたのは、ヒトにいちばん近い動物であるチンパンジーとゴリラがアフリカにいたからです。

 一方、ダーウィンを信奉していた同時代のドイツ人生物学者ヘッケルはアジア説を唱えました。アジアに暮らす類人猿のオランウータンやテナガザルのほうがよりヒトに近く、アジアこそ人類のふるさとだと。

 かくして、人類の起源をめぐる考えは、当初からアフリカ説とアジア説のまっぷたつに分かれました。

※補足説明 : 1951年にリーキー夫妻はオルドヴァイで道具を発見した。1952年にはより広範な発掘が行われ、オルドヴァイ屠殺場(動物が追い込まれて大量に殺された古代の沼)と呼んだ遺跡が発見された。彼らは1953年に一度発掘を止め、1955年から再び、ジーン・ブラウンとともに掘り始めた。1959年にメアリーはジンジャントロプスを発見した。問題はそれがロバート・ブルームによって発見されたパラントロプスより前か後か、人間の系統に連なるかどうかであった。

1960年に地球物理学者ジャック・エバンデンとガーニス・カーティスはメアリーが発見したジンジャントロプスを175万年前の物と判断した。これは想像より遥かに古く、世界中が驚いた。科学者はアフリカに群がった。リーキーとレックの正当性は完全に証明されたが、レックはすでに1937年に死去しておりそれを知ることはなかった。リーキーはまた、ダーウィンが正しかったことも証明した。

 いまはアフリカ説が支持されていることはみなさんもご存じでしょう。  しかしその後、圧倒的優位に立ったのはアジア説のほうでした。

 なぜなら、1894年にインドネシアでジャワ原人が、1927年に北京原人が発見されたからです。  いずれも数10万年前のもので、二足歩行をして石器も使っていました。いまではこの2つが同じ種(「ホモ・エレクトゥス」)であることがわかっており、人類の直系の祖先であると考えられています。

 ちなみに、記載したとおり、「シトロエン―アールト探検隊」の一員として1924年から25年にアジア大陸を横断したティヤール・ド・シャルダンは北京原人の発見に関わった1人。彼はその後もアジアで「最初のヒト」の化石を探しつづけました。

※補足説明 :ジャワ原人 / ジャワ原人(ジャワげんじん)とは、ウジェーヌ・デュボワが1891年にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニールで発見した化石人類に対する通称である。年代は 170 - 180万年前ごろと推定されていたが、最新の研究では130万年前ごろとされている。

かつては Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名で呼ばれていたが、2012年現在はヒト属に分類され、Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種の一つ Homo erectus erectus(ホモ・エレクトス・エレクトス)と位置付けられている。

オーストラリア先住民などに進化したとする研究者もいたが、現生人類の直接の祖先はアフリカに生息していたホモ・エレクトスの別の亜種(または独立種ホモ・エルガステル)[注釈 1]であって、アジアにいた北京原人やジャワ原人は直接の祖先ではないとする意見が支配的である。

※補足説明 :北京原人 / 北京原人(ペキンげんじん、Homo erectus pekinensis[注釈 1])は、中国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類である。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。2015年現在はホモ・エレクトス (Homo erectus) の亜種として扱われる。北京原人を含むホモ・エレクトスが生きていた時代は更新世中期である。従来は上記の化石の年代は約50万年前とされていたが、最新の研究では約68万-78万年前と推定されている。

周口店の北京原人遺跡はユネスコの世界遺産として登録されている。

 当時、アフリカで発掘を続けた学者もいなかったわけではありません。なかでも1924年には「アウストラロピテクス・アフリカヌス」という、二足歩行をしていたより原始的な、ヒトというよりゴリラやチンパンジーに近いタイプが発見されます。

※補足説明 :アウストラロピテクス・アフリカヌス / A・アフリカヌス(Australopithecus africanus)は初期のヒト科生物である猿人の一種。2-3百万年前の鮮新世にいた。この種より古いアウストラロピテクス・アファレンシスと同様、A・アフリカヌスは体格がほっそりとしており、現代の人類の直接の祖先と考えられていた。

見つかった化石からすると、A・アフリカヌスの頭蓋骨は現代人と同様に大きく、脳の量も豊かであり、アウストラロピテクス・アファレンシスよりも現代人と顔つきが似ていた。A・アフリカヌスが見つかったのは、南アフリカの4箇所のみである。タウン(1924年)、スタークフォンテイン(1935年)、マカパンスガット(1948年)、グラディスヴェール(1992年)である。

 でも、思いのほか脳の容積が小さかったり(ヒトの祖先はもっと脳が大きいと思い込まれていました)、直後に北京原人が発見されたりしたせいで、残念ながらほとんど顧みられることがありませんでした。

 加えて、アジアの原人の化石がその後もたくさん見つかり、アジア説はどんどん勢いを増します。結果として、アフリカで人類の祖先の化石を探すのは「時間の無駄」といわれるほどアジア説がメジャーになりました。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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次回は “ « 人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見 (2/3) » “ を記載、続きます・・・・・

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